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No.747 血相を変えたことはありますか?

3年前の12月28日に書いたコラムの題名は「母への詫び状」でした。

「父からはもちろん、母からも褒められた事より叱られた記憶の方が圧倒的に多かった。
 私が小学校の低学年だった時のことである。家には子供たちしかおらず、母や祖父母は、我が家から見える霧指(きりさし)で畑仕事をしていた。私の覚えている限り、何かの記念日か祝日だった。
いつもなら、玄関わきに日の丸を掲揚するのに、今日に限ってそれがない。捜してみたが、見つからない。
ふと、畳んだ洗濯物の中に薄桃色の布があることに気付いた。しかも、紐付きである。日の丸ではないが、色よし、形よし、大きさよし。いいモン、見ーつけた!
兄と私と妹の三人は、嬉々として物干し竿にくくり付け、庭の道路脇にこれ見よがしに高く掲げた。
♪ 白地に赤く 日の丸染めて ああ美しい 日本の旗は~ ♭
と、何度も声を張り上げて歌った。
すると、霧指(きりさし)の畑から、悲鳴を上げ血相を変えながら、脱兎のごとく走って帰る母親の姿があった。それは、見たこともない凄い勢いであった。
薄桃色のそれは、母の腰巻だった。そうとは知らず、とんだ非行に及んだのだった。山里で人気の少ない村とは言え、通りすがりの人々には、えらいサービスをしたものである。
頭にタンコブを作った事も、夕食が食べられなかった事も、容易に想像できるのだが、記憶力の低下のゆえか、あまりの恐ろしさのために記憶中枢がリセットされてしまったか、その時の事は何故か思い出せない。ただ、青空にピンクの旗が揺れていた映像だけが…。
お母さん、こんな私を、いや、我々を、お許しください。 仁より」
 
母の七回忌に、兄妹で小冊子『晴子さん、四、語録』(安野光雅著『算私語録』のパクリ?)を発行した末尾の一文です。母は、「そんなこともあったなぁ!」と草葉の陰で笑っているでしょうか?それとも、「まだ、忘れんで!」と悔し泣きしているでしょうか?
 
あんな罰当たりなことをした小学校低学年の私も、今や立派な(?)69歳です。もう「理性」が邪魔をして、あんな真似は出来ないお年頃ですが、浮き立つようなココロをどこかへやったようで、ちょっぴり寂しくもあるようなないような…。
 
えっ?カミさんのが、あるじゃないかって?

※画像は、クリエイター・上の森 シハ|Uenomori Shihaさんの、タイトル「秋恋-shuuren-終恋(短文付き)」をかたじけなくしました。運動会の日の撮影だそうです。お礼申します。