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No.1472 いや重(し)け吉事(よごと)
「あたし達ん所では、正月に雪が降ったら豊作になるって言ってたんだわ」
茨城出身の義母が、昔、そんな話をしてくれました。雪の多い地方で生まれた言葉かもしれませんが、「雪は豊作の兆し」「雪は豊年の瑞(しるし)」などというそうです。九州大分の産の私は、その言葉を知りませんでした。
大変面白いことに、「雪の降る年は豊作」の認識は、今から1300年も前の『万葉集』の中でも歌われていました。これには、驚きました。
聖武天皇の天平18年(746年)の正月に、平城京は,
「白雪多く零(ふ)り、地(つち)に積むこと数寸なり」
という状況でした。左大臣の橘諸兄(たちばなのもろえ)をはじめ、諸臣が聖武天皇の伯母である元正太上天皇の御在所に参り、雪かきの奉仕をしました。雪かきが終わると、ねぎらいのための宴が行なわれました。その際、「雪を題に歌を詠め」との仰せがあり、5人の5首が応えました。その中の3925番の葛井連諸会(ふぢゐのむらじもろえ)と言う人の歌が、まさにビンゴなのです。
3925 新(あらた)しき年の初めに豊の稔(とし)しるすとならし雪の降れるは
(新年の年の初めに豊作の前触れをするらしいよ。雪が降るのは。)古代人もまさに義母と同じ発想(義母が古代人と同じ発想?)をしていたのです。
Ameba「茶の湯覚書歳時記」の「初雪豊年の兆」の解説に科学的な説明がありました。
【雪の多い年は豊作】
昔から「雪の多い年は豊作になる」といわれます。それは、植物の生存には雪が大きく関与しているからです。植物の体も、動物と同じようにたんぱく質でつくられています。動物と違うところは、たんぱく質を自分でつくり出しているところ。植物がたんぱく質をつくり出すためには窒素が必要ですが、空気中の窒素をそのまま取り入れることはできません。ほかのものと結びついて植物が取り入れやすい化合物の形にならないと駄目なのです。雪は雲の中にたまった電気の放電現象ですが、この放電のエネルギーで、空気中の酸素と窒素が結びついて一酸化炭素になります。このとき、酸素と水が多いと硝酸がつくり出されます。硝酸は水に溶けて土にしみ込み、根から吸収されてたんぱく質の原料になります。雪が多いと硝酸がたくさんできて、植物に栄養が十分補給されるというわけです。
もう、ヘーボタンを乱打してしまいました。古代人は、そんな科学的知識はしなかったでしょうが、ちゃんと雪の年に豊作になるというメカニズムには気づいていたのです。
ところで、『万葉集』の最末歌(4516番)は、編集を担ったとされる大伴家持の歌で終わっています。彼の「役得」とも思われるのですが、その歌も、正月一日の雪の歌でした。
作者の大伴家持は42歳、因幡守(いなばのかみ=鳥取県の長官)でした。4516番の詞書(ことばがき)には、
「天平宝字3年(759年)の正月一日に、因幡の国の庁舎で地方の役人らを招いて、新年の祝賀の宴会をしたときの歌である」
とあります。その歌は、こうありました。
4516 新(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
(新しい年の初めの初春の今日降る雪のように積もれよ良いことよ)
13年前の746年に詠んだ葛井連諸会の3925番歌に通じる言葉や世界です。
年が改まるということは、閉ざされた冬からの解放であり、立春を迎えるというめでたいことだったでしょう。その新年に、更に雪まで降るのは、豊作の予兆ですから、めでたいことの重なる元旦だったのでしょうね。そのよき日に、よき年となることを祈って詠まれためでたい歌なのです。数日前に、私たちが神前で年頭に祈った思いは、この延長線上にあるものでしょう。
そして『万葉集』という歌集の最後にこの歌を据えたところに、大伴家持の強い意図や意識が伺われます。単に、良き年であるようにとの祈願の歌であるだけでなく、和歌の繁栄、世の中の永遠の栄えを歌に託したのではないかと思います。
日本人の「言霊」信仰は、よくいわれるところです。おめでたい日に、おめでたい言葉を用いた歌を詠唱すると、それだけで良いことが起こると考えられていたようなのです。
『万葉集』には、3253番の柿本人麻呂の長歌に続いて反歌1首が続いています。それは、
3254 磯城島(しきしま)の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸(さき)くありこそ
(この大和の国は、言霊の助けたまう国です。どうかご無事でいらっしゃい。)
というものです。言葉にすれば、それは現実味を帯びて叶えられると信じたのですね。だから「ま幸(さき)くありこそ」(ご無事であれ!)と言葉にして見送るのです。
大伴家持は、「今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)」と和歌に詠み、言葉にすることで、祈りを超えて実現することを心から信じたのだろうと思います。遠い未来の私たちのことも、彼の歌は包んでくれているのかもしれません。有り難い歌だと感じています。
奈良時代の貴族であり、歌人であり、養老2年(718年)頃に生まれたとされる家持は、延暦4年(785年)8月に滞在中の陸奥の国で亡くなりました。60代後半でした。
※画像は、クリエイター・へっほんさんの、「冬、到来」の1葉をかたじけなくしました。何か、雪だるまに話しかけられているようですね。お礼を申し上げます。