No.1429 小さな農家の大きな問題
時代は変わっても、時は糸車のように廻ります。繰り返しながらも進んでゆかねばならない農業従事者後継問題は、我が実家も避けては通られない状況を迎えています。
70年以上も山村農家で米作りに人生をかけてきた松宇じいちゃん(マッサン)が、44年前に亡くなりました。
「カラスの鳴かん日はあってん、マッサンが田んぼに出ん日はねーのー!」
と感心(揶揄?)されるくらい稲作に没頭しました。それでも、悲願だった2等米を1等米にすることは叶いませんでした。
その間、父(長男)が爺ちゃんより先に病没し、残された母が、祖父の農業の後を継ぎました。見よう見まねで祖父を手伝ってきた母でしたが、師を失い、作業が疎かになるのを見かねて、近所のおじちゃんたちが声を掛けてくれます。
「晴子さーん、稗が生えちょるごたるでー!」
「晴子さーん、肥料はやったかえ?」
「晴子さーん、水をもっとひかんとなあ!」
「晴子さーん、畦ん草を刈った方がいいでー!」
「晴子さーん、…。」
母晴子は、爺ちゃんの何分の一しか田んぼに手を掛けられませんでしたが、近所の人々の助言のおかげか、それとも暢気な性分で肩の力を抜いた(?)米作りの故か、その年の新米は、大方の予想に反して1等の評価を得ました。「シンジラレナーイ!」とはこの事です。
長く丹念に土づくりを行ってきた爺ちゃんの苦労が、ようやく今頃になって実ったのだと思いました。そして、投げ出さずに米作りを続けた母のお陰だとも思いました。その母も、十年前後米作りに精を出しましたが、さすがに寄る年波には勝てず、口も八丁手も八丁のKさん、その次は、農業一本槍の寡黙で生真面目な働き者のMさんにお願いしました。
しかし、Mさんも高齢者となり、他所の米作りにまで手が回らなくなりました。そんな中、我が家の心の大黒柱だった母が85歳で病没しました。40代で夫を亡くし、両義父母を見送り、3人の子どもたちを片付けた苦労人は、静かに土にかえりました。
兄夫婦が実家を継いでくれましたが、公務員であり、二足の草鞋を履くのは容易な事ではありません。結局また、米作りをしてくれる人を探し、Tさん、そして今は、Оさんに何とか田んぼの世話をしてもらい、米を譲ってもらっています。
一度手放した土地は、二度と戻って来ません。先祖が耕し守り抜いてきた田んぼを、農業経験のない末裔がどう管理してゆくのか、何とも悩ましい時代を迎えています。
我が山香町は、米所としても知られる豊かな土地柄です。今は「ヒノヒカリ」と「なつほのか」の品種が主流のようです。
「ヒノヒカリ」は、「コシヒカリ」と「黄金晴(こがねばれ)」の子孫だそうで、コシヒカリに似た味わいと香り、そして、あっさりとした歯触りが魅力です。
「なつほのか」は、「ヒノヒカリ」と同じ食味ですが、ヒノヒカリよりも高温耐性に優れていると言います。近年の暑い夏を乗り切る強いコメが、望まれているのでしょう。
米農家だった我が実家も、後継者問題は深刻で、それは、土地問題にもつながります。小規模農家に明日への展望は望むべくもなく、自給米がやっとのことです。実際、大規模農業をにらんだ若手の農業後継者や、会社経営型の農業が脚光を浴びていますが、そうでもしなければ、経済的にやっていけないと思います。
たった三反しかない我が実家では、地方の高齢化の一途を辿る農業の担い手不足の現状の中、多くの知人を介して、この難局を乗り切る以外に道は無いというのが導き出された結論でした。うまいコメ作りに精魂を傾けて来た地方の小さな農家に、大きな問題が立ちはだかっています。
譲っていただいた新米は、そんな悩みを忘れさせる美味さでした。
※画像は、クリエイター・ますのさんの、「大切な土地」の1葉をかたじけなくしました。この写真には、土作りに賭ける農夫の心が感じられます。私は、祖父の姿が思い出されて胸が熱くなりました。お礼を申し上げます。