No.1178 ある小学生の哲学
先日、非常勤講師の同僚から面白い話を聴きました。
50年近く前の、彼が小学生の時に恩師が話してくれた体験談だそうです。
その先生は、数年間、孤島の小学校に赴任したそうです。その学校で虐めにあっていた子に気づき、勇気を出すようにアドバイスしました。
「俺が守ってやるから、安心して喧嘩したらどうか?」
すると、その子が、
「先生は何年かで転勤しておらんようになるんじゃろうが、俺は、この島で一生暮らすんじゃ。先生がおる間は何とかなるかもしれんが、おらんようになったら、またもとんようになる。だから、喧嘩はせんのじゃ。」
と言ったそうです。説得力ある言葉に、先生は自分の軽率な発言を反省したそうです。
それにしても、小学生でもそんな考えを持っていたことに驚かされます。家の人の教えもあったのかもしれません。
「狭い島なんじゃから、仲ようしろ!」
同僚は、その後の虐めがどうなったのか話してくれませんでした。多分、恩師も自分の考えが浅はかだった体験を話することで、聴いている教え子たちに先見性と寛容の心の二つを伝えたかったのではなかろうかと思いました。
小さな島でも、大きな島でも、小さな国でも、大きな国でも、地域や事情こそ違え、同じ血の通う人間が住んでいる場所です。力づくで相手を脅しても、傲り高ぶってナンバーワンを標榜しても、決して長くは続かないことを歴史は証明しています。そして、いつかは「竹箆返し」を受けずには済まされなくなるのでしょう。
そのやり方が正しいかどうかは、その子でなければ分からないこともあるのでしょう。しかし、あの小学生の言葉は、世界中の首長たちに問いを投げかけているように思いました。
※画像は、クリエイター・春風色さんの書かれた「恕の心」をかたじけなくしました。「恕」(じょ)は、孔子が弟子の子貢に生涯守り通す言葉として教えた字です。「思いやり」「広い心で許す」意味でしょうか。丸い大きな心を感じます。お礼を申し上げます。