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No.1171 心の花は何色?

今年は、万葉集研究者・佐々木均太郎先生(1924年~2004年)の生誕100年目です。大分大学で教鞭をとられ、その後、別府大学や大分県立芸術文化短期大学の教壇にも立たれました。
 
その佐々木先生が、1996年(平成8年)7月に、大分城西ロータリークラブでこんなお話をされています。その先生のお人柄をしのび、紹介させていただきたく思います、
 

 ちょうどわが家の庭に姫百合の花が咲いています。
 姫百合というと1945年、沖縄戦で368名が戦死した「ひめゆり部隊」が思い出されます。制服に着かえて「海行かば」を唄いながら集中砲火を受けて壮烈な最後を遂げた女学生たちの鎮魂(レクイエム)を祈ってやみません。
 万葉集では、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が姫百合を次のように歌っています。
 
 夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ(巻8・1500)
 
 坂上郎女は万葉集編集者、大伴家持の叔母で、すぐれた歌人として万葉集に85首多採されています。「夏の野の草むら深く姫百合の花がひっそりと隠れ咲くように、知られないまま思いつづける恋は苦しいもの」、沖縄の「ひめゆり部隊」にも相通じる心打つものがあります。この歌を読むと、必ず三浦梅園のあの軸の次の文句を思いおこします。
 「人生莫恨人識 幽谷深山華自紅」
 何かよいことをしても、それが人に知られることがないのを恨んではいけない。深い谷や山に誰から見られるわけでもなく、ひとり紅の花が咲いているではないか。
 ややもすると、私たちは何かいいことをすると、それが人に知られることを期待します。
 知られなくてもいいではないですか。幽谷深山に誰に見られることも期待せず、一生懸命咲き続けている紅の花。学びたいと思います。

小冊子「四季の歌 万葉集五十首」大分城西ロータリークラブ、P3より

私は、このお話に学び、2000年(平成12年)の学級通信を「花自ら紅」としました。しかし、なかなかその精神に至るのは難しいことです。「花自ら紅」と題しておきながら、生徒の凄さ、素晴らしさを誇らしく紹介することだけでなく、クラス担任として、臍を噛む口惜しさや叱咤激励をどれほど文字にしたことでしょう。ダメじゃん!!!
 
均太郎先生が御存命なら、「100年早い!」と叱られたかもしれません。
 
そういえば、孔子は『論語』(学而・第一)において、
「人不知而不慍、不亦君子乎。」
「人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。」
(人が自分の存在を認めてくれなくても、怨んだりしない。何と立派な人ではないか。)
の言葉を残しています。

私が高校生の時には「不慍」は「慍(いきどほ)らず」と訓んで、
「人が自分を分かってくれなかったとしても、腹を立てない。」
と習ったように記憶します。多情多感な我々を牽制するような教えです。

しかし、肩ひじを張らず、ついでに意地も張らず、自分らしい自然な生き方をするのは、今もって難しく、遠い世界のように思われます。喜怒哀楽の世界にどっぷり浸かりながら、過去を懐かしみつつ何とか生きています。私の心の花は、セピア色かも知れません。


※画像は、クリエイター・みかんさんの、タイトル「散歩で撮ったもの」の1葉をかたじけなくしました。万葉の時代の忍ぶ恋の女性に、心が引き寄せられるようです。お礼を申し上げます。