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No.796 師の父のいましめ

昨日に引き続き、大分大学教授だった種友明先生が1990年(平成2年)7月12日に大分合同新聞「灯」欄に寄稿したコラム「父」をご紹介させていただきたいと思います。私は、眼前に父がいて叱ってくれているような有り難さを感じました。
 
 「父は明治生まれの土木屋で『光』という強いたばこを日に六十本、酒も盛んなころには晩酌一升の豪の者だった。しかし、勝負事や賭け事、母以外の女性には生涯興味を示さなかった。尋常小学校卒、業界関係者から仕事の鬼、隧道の神様と言われた八十四歳の生涯は、私ども兄弟にとって、ただもう怖い存在だった。周囲や配下の人たちからも少なからず煙たがられていたようだ。
 私が八歳だった初夏のある日、父が倉庫から釘抜きを持って来るように命じた。私は学校から帰るやいなや、遊びに飛び出そうとした矢先だったので、気ばかりあせって手渡された鍵が倉庫の錠にうまくなじまない。いらいらが頂点に達したころ、ようやく戸は開いた。腹立ちまぎれに私は思わず鍵を土間にたたきつけてから釘抜きを父に差し出した。父は私を待たせたままじきに用を済ませ、それを元のところへ戻しておくように言いつけた。釘抜きは無事元へ納めたものの、今度は投げ捨てた鍵が見つからない。くやし涙を流しながら捜しあてたときには、既にかなりの時が過ぎていた。
 一部始終を黙って見ていた父は私を傍らに呼び、『さっき鍵を投げ捨てたとき、鍵に済まなかったとわびたか』と尋ねた。私が怪訝な面持ちで『いいえ』と答えると、父は、『鍵が開かなかったのはおまえの心がそこに無かったからで、鍵が悪いわけではあるまい。それなのに鍵を投げつけ、物に当たるなどは最も愚かな行為だ。心を集中して事に当たっていれば、とうに遊びに行けたはずだ』と諭し、当面する事態に集中することの大切さ、責任を他に転嫁して怒りをあらわにすることの愚かさをじゅんじゅんと説いた。
 今でも、何事かにいらいらすることがあると、決まってあの日の父の声がよみがえる。」
 
このコラムを読んで、お父さんの姿や言葉が脳裡に鮮やかに蘇られた方もいらっしゃるのではないでしょうか?私には、師の父親の芯のある生き方から生まれる骨のある言葉が、愛の鞭のように心に響くのです。

「ふきのとう 食べれば父と いるごとし」
どなたかのそのような句を、どこかで見たか読んだように記憶しています。父を苦みと匂いで思い出す良い句だなと思い出した次第です。
※画像は、クリエイター・マサルさんの、「ボコボコ出てくるフキノトウ」をかたじけなくしました。お礼申します。
 
「父の背を越して十五の春一番」
文部大臣賞 佐々木祥一郎(神奈川県、15歳)
第6回「伊藤園お~いお茶新俳句大賞」(1994年)
こんな素晴らしい俳句も見つけました。清々しい気分になりました。