見出し画像

No.520 取り戻せる時間のあれかし

「福沢諭吉心訓七則」の一つに、
「世の中で一番みにくい事は 他人の生活をうらやむ事です」
というのがありますが、その禁をおかしてまで羨みたくなってしまうのは、在職中に聞いた、あるお父さんのお話がその理由です。

ある日の家庭訪問で、
「毎日、高校生の息子と一緒に風呂に入って話をするのが、一日の楽しみです。」
と聞かされました。親子で趣味を同じくしているそうですが、そんな話や、友達や先生の話、将来の話、そのほかにも話が弾み、風呂の中で盛り上がるのだと言います。私の事を何と聞いているのか言わなかったお父さんは、立派な人だと思いました。親父と息子の心の通い合いや笑い声が、今にも風呂場から聞こえて来そうな温かい家庭です。
 
私はといえば、娘とは小学校入学と同時に、また、息子とは中学校入学と同時に、一緒に風呂に入る事は止めました。風呂が狭いという物理的な理由もなくはありませんが、子離れ、親離れのけじめを、こんなところでもつけたいと考えたからでしょう。ところが、子どもたちは、少しの未練も見せず、あっけないくらい自然と受け入れました。
 
それはそれで、少し寂しい思いもしていたのだということを、改めてこのお父さんから教えられたような気がしました。悩み多き子どもの「今の裸の心」に、風呂場だから向き合うことも出来たのではあるまいかと、大事な時間を自ら投げ捨てたように思われ、何か惜しまれるのです。
 
その思いを、孫が受け止めてくれることを祈るばかりのBJ(馬鹿爺)です。