No.1098 おごりの行方は?
『風土記』は、今から1310年前の和銅6年(713)に、元明天皇が諸国に撰進を命じた地誌です。常陸・播磨・出雲・豊後・肥前の五か国の『風土記』が現存しています。
わが大分県の『豊後風土記』が残っているわけですが、不名誉な話も載っています。餅の記事ですが、「速水略記」の項に以下のようにあります。大体、こんな意味です。
「田野 郡役所の西南にある。この野は広々と大きく、土地はよく肥えていて、田を開墾するのに、この土地と比べ得るものが無いほどであった。昔は、この郡の農民たちはこの野に住んで多くの水田を開いて耕したが、自分たちの食う分の食糧には有り余り、刈り取らずに、田の畝にそのまま置きっぱなしにしていた。大いに富み驕り、餅をつくって的にした。ところが、餅は白い鳥となって飛び立ち南へ行った。その年のうちに、農民は死に絶え、水田も耕作する者もなく、すっかり荒れ果ててしまった。それ以後、水田には適さなくなった。今、田野と言っている。これは、そのことの由来である。」
ほらね!なんとも悲しくなる出来事なのです。豊作におごった農民たちの蛮行を、神が許すはずがありませんでした。出来過ぎたからと、稲をそのまま放置したり、餅を的に見立てて矢を放ったりしたというのです。たわけ者の振る舞いでした。
大分には碩田(せきでん)の地名があります。その昔、景行天皇がここに行幸して、その土地の広大肥沃なのを見て「硯田(オオキタ)」と命名したと『豊後風土記』に出てきます。「碩田」とは「大きな田・美しい田」の意味があり、「大分」の名の由来となりました。
餅は豊穣を感謝して神々に供えるものであり、食してその力をいただくものでしょう。
『風土記』にみられる、悪を見逃さず、また、決して許さぬ神のなされようを「あらまほし!」と思いたくなる、昨今の世界のトップたちのおごりです。スミマセン、少し過激な発言だったかもしれません。
※画像は、クリエイター・紗桜さんの、タイトル「ゆるリラクスで穏やかに💐」の1葉をかたじけなくしました。「白い幸福の鳥の羽のよに浮かぶ雲が素敵で撮りました🐦」の説明に、心を掴まれました。お礼申し上げます。