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No.1385 恩と讐と?

『耳嚢』(耳袋)は、江戸時代中期~後期にかけて旗本・根岸鎮衛(1737年~1815年)が、佐渡奉行時代に筆を起こし、死の前年までの約30年にわたって書きためた雑話集です。次は、久々に読んだその本の中から、落語のネタにもなりそうなお話のご紹介です。お付き合いいただけますか?

先祖伝来の封筐(ふうじばこ)の事
 予(よ)が親友なる万年某(万年氏は六家あり、そのいずれか明らかでない)の語りけるは、同人家に先祖より伝わりし一つの封筐(ふうじばこ)あり。うわ包みを解き見しに、「子孫窮迫の時これをひらくべし」とあり。そのころ万年いたって危窮なりしかば、「かゝる時先祖の恵みを残し給うありがたさよ。いざ開封なしてその妙計にしたがわん」と、右箱の封、なお又切り解きてその内を見しに、何もなくて一通の書面あり。これをひらき見れば、三代ほど以前の祖の自筆にて認(したた)め置きし、「先祖子孫を恵みて、危急の時開きて用を弁じ候ようの書き添えにて、黄金一枚この箱の中にありしを、我ら危急の入用ありてつかい候て先祖の高恩に浴しぬ、なにとぞその基を償い置かんと、生涯心がけしがその時節なし。子孫これを忘れず先祖を思いて償い置くべし」と認めしゆえ、大きに笑いて「又金一枚の借用の増せし心せし」と笑いけるとかたりぬ。

『耳袋1』(根岸鎮衛 鈴木棠三編注、東洋文庫207、平凡社、P231~232より)

●あらまし口語訳…先祖伝来の封じられた筐(はこ)の事
 私の親友である万年某が語ったことには、同人万年家には、先祖代々伝わって来た一つの封印された筐がありました。上包みを解いて見たところ、(筐の上に)「子孫窮迫の時これを開くべし」と、書いてありました。その頃、万年某君は、たいそう差し迫って危うい状況でしたので、「このような時に、御先祖が御恵みを残し置いてくださったことの有り難さよ。さあ開封して、その絶妙な取り計らいに従いましょう。」と、上包みの封、更には筐の封印も切り解いて、その中を見たところ、何もなくてただ一通の書面だけがありました。それを開いてみると、三代ほど前の御先祖が自筆でしたためたものでした。「御先祖が子孫への恵みとして、危急の時に開いてその用に充てよとの添え書きがあり、黄金1枚が箱の中にあったのを、我らが危急の金の必要があって使い、御先祖の厚い恩恵をこうむった。何とかして元の通りに黄金1枚を埋め合わせようと生涯心がけてきたが、(ついに)その時を迎えられなかった。我が子孫には、このご先祖の高恩を忘れることなく、また、御先祖の遺志を受け取って、埋め合わせしておいてくれ。」と書いてあったので大笑いして、「何だか、借金が増えたような気がします。」と言って笑ったと語った。
 
三代前のご先祖さん、なかなかのIQ、そして策士だったのかも?子孫の万年某さんにとっては「なんと迷惑な置き土産!」と言うことになるのでしょうか?だからといって、
「この手があったか!」
と真似して借財を子孫に残し、将来、非難ごうごう、恨まれぬように心しましょう。「IQ」より「愛嬌」を大切にしたいものですね。


※画像は、クリエイター・雑記草(ざっきそう)の「大判・小判」の1葉です。当時の輝きが、まだ感じられます。お礼を申し上げます。