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No.1355 こんにちは!

一昨日の早朝から庭先で「虫の音」が聴かれるようになりました。
「リッリッリッリッリッリッリッリッリッリッリッリッリッリッリッ…」
1秒間に5回前後も「リッリッリッリッ」と規則的に速いテンポで鳴き続けます。わが家にも、小さい秋が…。
 
前島密(1835年~1919年)は越後高田藩の出身だそうです。
1835年(天保6年)房五郎と命名されました。
1859年(安政6年)24歳の時に巻退蔵と名前を変えました。
1866年(慶応2年)31歳の時に前島家の養子となり来輔(らいすけ)と名乗ります。
1869年(明治2年)34歳の時に『中庸章句』から取って密と改めたと言われます。
したがって、密(ひそか)は、明治以降の呼び名です。
 
今日の郵便事業の根幹を築いた前島密は、当時の飛脚の月ごとの支払額が1,500両にも及んでいたことにヒントを得て、公用の文書に限らず、民間・一般の通信物も同時に運べば利便性が向上すると考えました。また、江戸幕府時代の漢学者たちが、特に飛脚で信書(特定の受取人への手紙)などを運ぶことを「郵便」と呼んだことに倣い、「郵便」と命名したといいます。
 
1871年(明治4年)3月1日(新暦4月20日)、東京・大阪間で官営の郵便事業が開始されました。「はがき」の命名については、前島が相談した学友から提案されたものであり、「言の葉を書く」ということで「葉書」になったのだとか。妙案ですね。


また、「切手」については「郵便印紙」の案もあったようですが、以前から使われ、一般に知られていた支払い証明の紙片を示す言葉「切符手形」(きりふてがた)から「切手」にしたのだとか。私にはヘーボタンの連続です。

「日本郵趣協会」の資料では、1873(明治6年)当時の郵便料金は以下のようでした。
書状 東京市内1銭、市外全国2銭
葉書 東京市内5厘、市外全国1銭
当時の1銭は、今の250円前後だったようですから、現在より3~6倍ほど高かったか? 
 
昨日、畏友から全ページに切手が詰まったNOBLE STOCK BOOK1冊を頂戴しました。昭和・平成・令和の三代にわたって、折に触れ収集していた記念切手やお年玉切手、シリーズ切手やデザイン切手他、多彩な企画で発売された切手群を、惜しげもなく与えてくれました。
「日ごろ使いに、どうぞ!」
という太っ腹のお申し出に、感謝至極です。
「筆まめでいてね!」
のアドバイスが聴こえて来そうです。
 
切手は封書やはがきの「顔」だと思います。
「お元気ですか?」
「ご機嫌いかが?」
「おひさしぶり!」
「一筆申します!」
と、封を切る前に差出人の顔や言葉が思い浮かんできます。それは「石文」(いしぶみ)のように様々な色・デザイン・形をしており、すでに封書の表からお便りが始まっているようです。
 
もちろん、広告や資料送付の封書もあり、中を見ないままのこともあるでしょうが、切手の効果で封を開けることも十分にあるように思います。送り主の表情に一役買っているのが切手だと言ったら言い過ぎでしょうか?
 
日本の郵便事業が始まって今年で153年。今年の10月1日より新料金に変わります。
封書 84円(25gまで)94円(50gまで)
→110円(50gまで)
葉書 63円→85円となるそうです。
 
メールやライン流行りの昨今です。絵文字やユニークで多彩なスタンプは魅力的です。又、動画の送受信も、人気の秘密でしょう。他方、手紙や葉書の手書きの味わいや温かみも捨てがたいものがあります。封を切り、手紙を取り出し、開いて読むという紙ベースの手触りは、相手の心触りのような面もあり、スマホやタブレットの画面にはない匂いがあります。そして、切手が、最初に訪いの声を上げてくれるのです。
「こんにちは!」
 
全国津々浦々に人の心を届ける礎を作り「日本郵便の父」の異名を取る「前島密」に、「前島公」の名を贈りたいと思います。
 


※画像は、クリエイター・伝統工芸/つたえ手さんの、郵便発祥の地「日本橋兜町」と題する1葉をかたじけなくしました。前島密の胸像を初めて知りました。お礼を申し上げます。