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No.1452 ヘーボタン、いただけますか?

「海老で鯛を釣る」の言葉は江戸中期に生まれた言葉だと知ってヘーボタンでした。では、それ以前は何と言っていたのでしょう?

1つの解は、『土佐日記』に
「飯粒(いいぼ)して、もつ(むつ=鯥か?)釣る」
の言葉があることを知りました。
 
『土佐日記』は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつです。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事をユーモアを交えて綴った内容です。承平4年(934年)12月21日に土佐の国府を出発してから、翌承平5年(935年)2月16日に京都に到着するまでの55日間を綴った仮名日記です。成立時期は、935年の後半といわれています。
 
貫之一行は承平五年(935年)2月8日、摂津国鳥飼にたどり着きました。その条に、

(文)…八日。なほ、川上りになづみて、鳥飼の御牧といふほとりに泊る。今宵、船君例の病起りて、いたく悩む。
 或る人、あざらかなる物持て来たり。米して返事(かへるごと)す。男ども、ひそかにいふなり。「『飯粒(いひぼ)してもつ釣る』とや」。かうやうのこと、所々にあり。今日、節忌(せちみ)すれば、魚不用。
(訳)…八日。やはり、川上りに難儀をして、鳥飼の御牧という所の近くに泊まる。今夜、船の主人はいつもの病気が起って、ひどく苦しむ。
 ある人が新鮮な魚を持って来た。お米で返礼する。男たちがこっそり言っているらしい。「『飯粒でもつを釣る』とかね」。このようなことは、方々である。今日は、お精進をするので、お魚は無駄。

完訳日本の古典10『竹取物語 伊勢物語 土佐日記』(小学館、昭和56年2月刊)

この「飯粒して、もつ釣る」のことわざ(?)は、
少し前では、ブログを中心としたメディア・Amebaで、古典和歌研究家・しじま にこさんが「土佐日記・29」(2020年12月3日)の中で紹介しておられ
「『米粒で、立派な魚を釣り上げる』ということだね」
と訳しておられます。
最近では、noteのクリエイター・舞夢さんが、「土佐日記 第72話 八日、」(2024年12月9日)の中で紹介され、
「飯粒で、鯥を釣っている」
と訳されました。

ちなみに、私たちが子供の頃、川魚釣りの餌はミミズや、青虫や、蜂の子や、飯粒でしたが、どの餌もハヤやアブラメ、ドンコやカマツカなどが釣れました。
 
飯粒で海釣りをしたことはありませんが、2年前、クリエイターのアナハゼティ・Anahazetiさんの動画「『米粒』で本当に魚は釣れるのか検証してみた【コスパ最強エサ】」(YouTube)で、ちゃんとハゼが釣れました。海の魚も釣れるようです。
 
「もつ」は「むつ(鯥)」だろうと言われています。もし「鯥」なら体長40〜60センチの、むつ科の大形深海魚。冬が漁期で、肉は美味な高級魚だそうです。「刺身」「マリネ」「焼き魚」「兜焼き」「煮魚」「ポワレ」「アクアパッツァ」「トマト煮」「鍋物」などの料理が紹介されていました。  

鮮魚を持って来てくれた人への返礼にと、紀貫之は米を贈ったわけですが、そのことに対して、
「飯粒して、もつ釣る」
と揶揄されたようです。「エビで鯛を釣ったようなもんだ」と皮肉りたかったのでしょう。私には、米は高価なもの貴重な物との認識がありましたから、さぞ喜んでくれたのかと思いきや、意外な反応でした。それで、興味深く思っていました。

この「飯粒して、もつ釣る」という言葉が一般化していたのかどうか?平安時代や鎌倉・室町時代の辞書で検証したいところですが、未見のままです。どなたか、お教えいただければ有り難く存じます。

「海老で鯛を釣る」の言葉が江戸中期に生まれた言葉なのだとしたら、それ以前は何と言っていたのかという疑問が発想源でした。その意味で『土佐日記』の「飯粒して、もつ釣る」は、貴重な用例だと思っています。ヘーボタン、いただけましたか?


※画像は、クリエイター・横山佳美さんのことわざイラスト「海老で鯛を釣る」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。カット割りの関係で、全面を紹介しきれなくて一部だけとなりました。ゴメンナサイ。