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No.1378 すずやかに

「もの持たず すずやかに飢ゑて ありし日の 鋭心いかに 保ちゆくべき」
島田修二という人の歌です。飽食の時代に、忘れてはならない「心」を感じています。
 
その島田修二(1928年~2004年)は、神奈川県横須賀市生まれの歌人です。母も歌人だったそうです。中学時代の国語教師が小田切秀雄、高校時代の同級生には小川国夫がいたと言います。第二次世界大戦時で学徒動員を体験し、戦後は、東京大学文学部社会学科に入学。卒業後の1953年(昭和28年)に読売新聞に入社し、50歳になるのを機に辞めています。26年間の記者生活だったそうです。その彼は、1957年(昭和32年)に29歳でコスモス賞を受賞。1961年(昭和36年)には33歳でO先生(折口信夫)賞を受賞するなど、若くして才能が開花した人物のようです。

 兄を戦争で亡くし、自らも学徒動員を体験したり、広島原爆を目撃したりするなど昭和の激動期に青春を過ごし、家庭をもった後は、障害児の親としての日常を送る。歌集が世に出るたびに切り拓いてきた新しい歌境はその都度、沈鬱な自分の生活心情を歌へと重ねるようにして、人生に真向かうことと、歌に真向かうことを同等としてとらえてきた真摯な島田の姿勢の鏡でもある。

ウェブ百科事典の「コトバンク」の「島田修二」の項より抜粋

その島田修二の「もの持たず…」の歌を、読売新聞社のコラム「編集手帳」に見つけました。

食べ物を流し込むように口に入れることを「かっこむ」という。宮崎駿(はやお)監督のアニメ「千と千尋(ちひろ)の神隠し」に、不思議の国に迷い込んだ主人公のお父さんが料理をかっこむ場面がある。◆若いアニメーターはその動きが描けなかった。「かっこむ」の意味が分からない。意味を教えても、経験がないから描けない。宮崎監督みずから筆をとるなどして切り抜けたと、プロデューサーの鈴木敏夫さんが「映画道楽」(ぴあ刊)に書いている。◆空腹から、あるいは仕事に追われ、いま食べておかねばいつ食べられるか分からない気ぜわしさは、食べる物も自分の時間もふんだんにある若い人には見当がつきにくいかも知れない。◆きょうは「昭和の日」、その世代には戦中戦後の思い出が胸をよぎる日である。芋であったり、すいとんであったり、味も何も分からぬままに“かっこんだ”記憶を、しょっぱく、ほろ苦く、かみしめる方もおられよう。◆〈もの持たず   すずやかに飢ゑて   ありし日の  鋭心(えいしん)いかに  保ちゆくべき〉(島田修二)。鋭心とは凛(りん)としたまなざしのことだろう。すずやかに飢ゑて…いまは遠い日の面影である。

2008年(平成20年)4月29日「編集手帳」より

「すずやか」を「すがすがしく、さわやかなさま」という辞書的な意味だけでは味わいが乏しい気がします。戦後の食糧難の中、ものを持たないから闇米も買えない中にあって気持ち良い程飢えに苦しんだが、あの頃のピュアで凛とした心を持ち続ける事の難しさを言ったものでしょうか?または、どうやったら持ち続けられるか己に問うたのでしょうか?

戦後8年目に生まれた私には、「すずやかに飢ゑ」た体験がありません。この歌の作歌年を知りませんので、豊かな時代の心の貧しさを問う意図があったかどうかわかりませんが、「鋭心」の言葉には、失ってはいけない大事な心が詠みこまれているような勝手な解釈をしています。

歌人島田修二が読売新聞社を退職したのは、1978年(昭和53年)前後の頃と思われます。後にコラムニストとなった竹内政明氏が読売新聞社に入社したのは、1979年だそうですから、先輩島田修二のことは聞き及ぶか、その歌集で知っていたはずです。その歌人への敬意が、彼の「昭和の日」のコラムに生かされていると、これも勝手な解釈をしています。


※画像は、クリエイター・てみさんの「だんご汁」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。私の曾婆ちゃん(ゑい)の得意料理の一つを懐かしく思い出しました。