中学二年生の時 クラス中に嫌われていたロボットみたいな先生に救われた話
今回は中学二年生の時、いじめっ子のみならず、善良な生徒含めクラス中から嫌われていた担任の先生に私が救われた話を書いていこうと思います。
良い先生=好かれる先生ではないというのが私の信条なのですが、その考え方のキッカケになった出来事です。
私のいじめの始まり
私の高校中退のきっかけになったいじめは、元を辿ると中学二年生の時の4月に始まりました。班の中でたまたま別のクラスだった私を、班の集合写真に写さないという事が始まりだったと思います。
正直集合写真自体はどうでもいいものだったのですが、ここで言い返さなかった事で「オキモトには何を言ってもいい」といじめっ子達に判断された事がまずかった。最初は掃除を私一人に押し付けたりする程度でしたが、だんだんエスカレートし、ついにサッカー部の一人に「殴るぞ」と脅しをかけられるようになりました。
他のいじめっ子達は後ろで笑っており、完全に怖がる私を見て楽しんでいる感じです。
その時は命をかけるつもりで「やれるもんならやってみろ」と言い返す事で場を逃れました。本当に怖かったのですが、相手の中にたまたま喧嘩自慢が一人しかいない事が幸いしたみたいでその場は引いてくれました。
これはこのまま放置しておくと大変な事になるぞと思い、意を決して担任に相談する事にしました。
滅茶苦茶嫌われていて、私自身理不尽な言葉をかけられた事もある担任A
当時の担任A(仮名)は非常に冷淡だと言われていました。当時の噂ですが元々歌手志望だったが挫折して音楽教師になった口のため、マニュアル通りのことしかしない、生徒への愛情がない、などと批判を受ける事も多い教師でした。(あくまで本当のところは分かりませんが、プロの歌手志望だった事は事実みたいです)
その批判の主は決していじめっ子ばかりではなく、むしろ私をいじめから庇ってくれるような善良で大人しい生徒からも批判されていました。
私自身、掃除を自分一人に押し付けられた時に、なぜか掃除が足りないと私一人が怒られるというかなり理不尽な対応をされた事がありその時は大嫌いでした(いじめっ子グループは放課後の掃除を逃げていたので、残った私一人が怒られた形です)。
しかし、彼のおかげで私は救われる事になります。
意を決して彼に相談
私が彼に相談した時、私の話を聞く時の彼は心底めんどくさそうに聞いているように見えました。
この時の反応があまりにも薄く、私は「相談して失敗したか」と不安を覚えたことを今でも覚えています。
しかしその後彼はすぐにこの件を学年主任に報告し、私といじめの主犯二人、担任と学年主任の5者による話し合いの場をもうけてくれたのです。
話し合いでいじめが解決することはほぼないです。しかしこの時。学年主任、および担任から「本当に暴力を振るったら、停学及び退学にする」という旨がいじめっ子達に告げられました。
これは校則に則ったマニュアル通りの対応なのですが、「いじめの相談を受けてすぐ」「迅速に」この対応が行われた事は非常に大きかった。その後、悪口などのいじめは続きますが、暴力を背景にした脅迫などはパタっと止みました。
それでも悪口や嫌がらせが相次いだので、一学期の終わり頃、再びAに相談に行きました。すると今度は、両者の親を呼び出して話し合いの場をもうけてくれました。
いじめっ子の両親はかなりの面倒くさがりで、PTAなどの役員活動も渋るタイプの親でした。そんな親が学校まで呼び出されるというのは相当嫌だったようで、親達はいじめっ子達に私へのいじめを止めるように強く注意しました。
結果。姑息な嫌がらせ(偽のカンニング疑惑をでっちあげるなど)こそ細々と続きましたが、表だったいじめは無くなりました。中学二年生の後半は、私の人生で一番楽しかった時期と言っても過言ではないのですが、それはこの担任Aの奮闘があったからだというのは間違いありません。
何が良かったのか
「とにかく真面目な性格で、ルール(校則)通りの対応からぶれなかった」
これが大きいです。暴力を振るったら停学が退学、暴言や嫌がらせが続けば保護者を呼び出して注意喚起。他の教師の方はなあなあで済ませる人も多かったのですが、Aはしっかりルール通りに対応してくれました。
また、いじめっ子達への伝え方も素晴らしかったです。淡々と、一切の情を入れず、行為に対する罰則を伝える。下手に情を入れた話し方をしていれば「なんだかんだ許される」といじめっ子達が判断した可能性も十分にあります。
確かに彼は、私の話を聞く時に少し冷淡気味な対応をしました。しかし「いじめっ子側にも情をかけない対応」なのが本当に素晴らしいです。ここをなあなあで済ませる教師だったら確実に私は暴力の被害を受けていたでしょう。
担任Aはいじめられっ子の相談を親身に聞くということはしませんでしたが、ルールに則って厳格な処置をいじめっ子達に下しました。彼の誰よりも真面目な性格が、一人のいじめられっ子を救ったのです。
余談ですが、この担任の話題を今、当時の友人に話すと「そいつの名前を出すな、飯が不味くなる」とまで言われるほどAは嫌われています。
ここまで嫌われ者の教師だとしても、いやむしろ普通の善良な生徒には嫌われるほどにルールに厳格なAだからこそ、いじめられっ子を救えたのです。