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オキモトが不登校になった理由

オキモトです。今回は、私がなぜ引きこもりになってしまったのかについて書いていこうと思います。

私の学校でのクラス分けの仕組み

私の通っていた中高一貫校では、当時成績別に1、23、456組と三段階のクラス分けを行っていました。

中学三年生の三月。このクラス分けについて、担任B(詳しくは前回の記事参照)と学年主任から話がありました。私は成績的に23組と456組の間ぐらいだったのですが、私をいじめていた主犯二人は二人とも成績が悪く、確実に下のクラスになるということをいわれました。  

Bは私に「学力的には少し大変だが、23クラスに行かないか。基本的にクラス分けは選べないが、学習レベル的に微妙な生徒は上か下かを選ぶことはできる」という旨のことを言ってきました。

あれだけ相談したんだからクラスぐらいそっちで分けてくれよ… とは思いましたが、こう言われたら私は上のクラスを選ばざるを得ませんでした。しかしそれが私の人生を、悪い意味で大きく変えることになってしまったのです。

最悪のクラス


Bの宣言通り、私をいじめていた主犯の人たちはみんな5、6組にいきました。しかし、同時に私の友人たちも全て456組に割り振られてしまったのです。

Bは「お前の友達も当落線上だから、何人かは上のクラスに行くはず」と言っていましたが、実際には音楽や家庭科の成績が悪く、全員が下のクラス扱いになってしまったのです(なぜか私の学校では、学力別クラス分けの基準に体育などの受験で使わない科目が含まれていました)。

更に中学二年生の時にいじめグループに所属していたY(仮名)という男と同じクラスになってしまいました。

Yは中学二年生時点では野球部に所属していて、体は大きいのですが気が弱く、いつもいじめグループのリーダーの陰でコソコソしているタイプの男でした。二年生当時、別に直接悪口や嫌がらせをやってきたことはなかったと思います。

しかし彼が気が弱いタイプに見えていたのは腕っぷしの強い、私の友人が怖かったためでした。私の味方がいないクラスになった瞬間、彼は醜悪な本性をむき出しにしてきました。

クラスを一つにしたハンドボールのチーム決め

クラス分け早々。体育の授業でハンドボールのチームを決めることになりました。

問題はその分け方でした。担任の教師のC(仮名)は運動部のリーダー的な人たちを6人選出し、彼らに一人ずつメンバーを選ばせるというやり方を採用しました。

このやり方だと運動神経が悪い人が最後に残り、公開処刑のような形になってしまいます。私は運動が苦手なので当然最後まで残されて、私と、Z(当時学年で最も嫌われていた人、詳しくは前回の記事参照)の友人で、やはり運動が苦手だったXの二人が残されました。

XもZと匹敵するほど嫌われており、また当時私はクラスでの知名度は低いこともあって誰もが私を選ぶと思われていました。しかし、よりによってこの時にどちらか選ぶことになったのがYでした。

Yは10分ぐらいかけて「どうしよっかな〜」「でもな〜」を繰り返しました。この時の醜悪極まりない笑みは今でも忘れません。

10分以上、Yは散々クラスのみんなを待たせた末、彼は「じゃあ、X君で」と醜く顔を歪ませながら言いました。

その時のクラスのどよめきを、私は今でも覚えています。Yが散々残った二人を公開処刑したのは、あくまでXを馬鹿にするのが主目的だとみんな思っていたからです(これだとしても悪辣です)。

しかし、そのXの方が私より選ばれたということで、私は一気にクラス内での人権を失いました。体育の授業中は勿論、普通の勉強の授業中も、わざと私に向けて咳をして気を散らせるという嫌がらせが行われるようになりました。

私は潔癖症で、他人のくしゃみが本当に苦手なのですが、その原因はこの時受けた嫌がらせがトラウマになっているからです。

無神経の一言では済まされない最悪の担任

ここまででも私の心は折れかけていたのですが、更に最悪だったのが担任の教師C(仮名)でした。

彼は私がいじめについて相談して早々「お前がクラスメイトと仲良くしようとしないのが悪い」などと言ってきたのです。

その後も30分ぐらい、延々と「いじめられるのはお前が悪い」説教されたのを覚えています。

今彼のことを思い出すと怒りが湧き上がるのですが、当時は長年のいじめで弱りきっている事もありただただ恐怖しか感じませんでした。体育会系で、いかにも強面だったのも恐怖に拍車をかけました。

いじめっ子にチクった事を報告する担任

数ある担任のクズエピソードのうち、私が憤りを感じたエピソードを書きたいと思います。

一回目の大説教の後、これは酷いと思った父が、担任に対策を要求しました。

そこで担任は「わかった、クラスで信頼できる人に、この事を対応してもらうよう頼んでみる」と返したそうです。

この時点で去年の担任Bの件(他のいじめられっ子の対策を一生徒である私に頼み、結果私へのいじめが悪化した)の二の舞になりそうなものですが、彼はあろうことかこの事をいじめっ子Yに頼んだのです。

いじめ対策を「いじめっ子本人」に頼むとは、どういう了見なのでしょうか。いじめっ子に

「いじめをやめろ」

というなら分かります。それをいじめっ子が聞くかどうかはともかく普通の対応です。しかしいじめっ子に

「いじめられっ子がいじめられてるから、なんとかしてくれ」

と頼むのは、一体どんな神経をしていたらそうなるのか分かりません。

父の言葉で、高校中退を決意した

生徒Yと担任Cによるいじめで、私は心身共に疲弊し切っていました。それでも、中学の頃の友達が大好きだった私は学校を辞めたくありませんでした。そんな中、父は

「学校辞めた方がいい」

と私に言いました。

父は厳格ではありますが、とても優しい人でした。客観的に私を見続けてきた父からそう言われた事で、私自身もう限界を迎えている事に気がつきました。父自身、学校とかなり話し合ってくれていたので、学校側の対応的にも続けるのは難しいという判断もあったと思います。

本当に悔しかったし、悲しかったですが、最後まで学校側がCの蛮行に対応してくれることはありませんでした(一応フォローしておくと、それまでいじめを抑え込んでいた学年主任に問題が発生し、学校側も対応しきれなくなっていた部分がありました。ただしC個人に関してはフォロー不能です)。

最後に いじめはいじめる方が悪い

最後に一言、私は世間に対して言いたいのですが、いじめはいじめをやる方が悪いに決まっています。そもそもYが私をいじめたきっかけは「運動音痴だから」。

いじめられる側としては、対策は不可能です。

長記事の読了ありがとうございました。次回は「力によるいじめ抑止」の危険性について、二段階降格の憂き目を見た学年主任を例に記事を書きたいと思います。

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