なぜ力によるいじめ抑止が難しいのか キャリアを崩壊させられてしまった学年主任の末路
オキモトです。今回は最初、私をいじめから庇ってくれた学年主任の先生が、野球部によるいじめを止められず、責任を取らされ二段階降格の憂き目を見た話を書きたいと思います。
鬼顧問として恐れられていた野球部顧問D
野球部の顧問兼学年主任だったDは、とても強面で厳しい人として学年でも有名でした。
野球部の練習は鬼のように厳しく、提出物の遅れ等にも異様に厳しく課題の量も多い。
そんな彼は当然生徒からは煙たがられていたのですが、中学二年生の時、当時の担任教師Aと一緒にいじめを止めてくれたことがあったので私は好きでした(詳しくはこちらの記事をご覧ください)。
彼はとにかく、いじめなどの卑怯な事が大嫌いでした。ただ、当時の担任教師Aとは違い、悪い事をした人に強い注意はするが、ルール的には温情な采配をすることも多い人でした(暴力行為を行なった野球部員を本来停学させなければならない所、試合出場停止のみで済ませるなど)。「人は変われる」が彼の口癖でした。
しかしその温情こそが、彼のキャリアを奪うことになるのです。
転落のキッカケ
彼は良くも悪くも、自分を「怖い存在」としてブランディングするのが上手い教師でした。常にしかめっつらでなかなか笑顔を見せず、説教の時は低い声で淡々と相手を詰めていく。身体も大きく、体罰や規則による罰則を使わずとも生徒への指導力を保てていたのです。
しかし、強権的な指導に対して、生徒達の潜在的な不満が溜まっていました。私自身二年生の時に助けてもらったので感謝していましたが、大量のノート提出課題には辟易していました。
そんなある日、彼は朝の朝礼でいじめについて話をしました。
内容は「いじめは良くない」という当たり前の話だったと思います。
その話の、最後の一文が、彼が40年近く積み重ねてきたキャリアを崩壊させる事になります。
「君たちもプリキュアのように、いじめをしない清らかな中学生になってほしい」
私の通っている中高一貫校は、男子校でした。
結果何が起こったか
この一言で、彼は強面の鬼教官から「いい歳してプリキュアにハマるキモオタおじさん」のイメージになり、一気にその権威を崩壊させていきました。
なぜ彼がこのような発言をしたのか、私にはいまだに分かりません。しかし、彼のキャリアはこの一言をきっかけに崩壊します。
この発言によって、彼の授業中の私語が抑えられなくなりました。しかしそんなものは序の口。更に不味かったのが、彼が顧問をしていた野球部の抑えが効かなくなった事でした。
野球部は非常に悪辣な生徒が多く(全員ではありません)、前も暴力事件を起こしていましたが、それでも顧問の恐怖政治のお陰で大半の野球部員は大人しくしていました。ただ、その抑えが効かなくなった事で秩序は崩壊し、今まで大人しくしていた野球部員達も問題行動を起こすようになってしまったのです。
特に「いじめ」に関する話の中で起こった権威失墜だった事もあり、野球部員の中でいじめの正当化がされてしまったのは非常に不味かったです。
結果私を含め、知り合いだけでも三人の生徒が、同じ時期にいじめを苦に学校を辞めています。私が学校を辞めた経緯は「オキモトが不登校になった理由」を読んで頂けると幸いです。
結果、彼は責任を取らされ、学年主任から二段階下の講師の立場へ降格する憂き目を見ました(降格は私の退学後で、友達から聞かされました)。
何がいけなかったか
彼の何がいけなかったのでしょうか。勿論プリキュアのファンだった事ではありません。彼の問題点は
①生徒達の不満をためすぎた
②規則に対してなあなあの対処をしてしまった
③「中学生の男子」に話す言葉として不適切だった
という2点が大きかったように思います。
特に私は以前の記事で申し上げたとおり。②の点は明らかな彼の落ち度だったと思います。
例え本人の威厳が失墜しても、学年主任・顧問としての権限はあったわけです。その権限を使えば野球部のいじめに対してもっと厳格な処置を行えたはずですし、そうすれば罰則を恐れてある程度はいじめを軽減できたはずです。
中学二年生の時は、私の担任の先生が主導する形でいじめっ子達に「ルールを破れば停学や親の呼び出し」という罰則を伝え、罰の抑止力でいじめを緩和することに成功しました。
その担任が居なくなった途端ルールの運用がなあなあになってしまい、恐怖政治で押さえつけるしかなくなってしまったのです。
生徒の不満を無視した正義感の暴走
また、これは退学後に友人から聞いた話なのですが、彼が顧問をしていた野球部員は休日のボランティア参加を強制させられ、参加しないと試合に出してもらえないなどの措置があったそうです。
ボランティア自体はいいことですし、彼の性格を考えると彼自身は良いことだと思ってやっていたのだと思います。ただ、野球がやりたくて野球部に入部した人からしたら、休日を野球関係ないボランティア活動に潰されるのは辛いと思います。
勿論。辛いからといって、関係ない生徒をいじめていいわけがないのですが。
まとめ
今回は私の経験から「教師による恐怖政治は、ささいな事がキッカケで崩壊する」という例を紹介させて頂きました。
暴力・体罰に厳しくなった現在の日本において、力による指導には限界があります。教師の方にはルールに則って、厳格ないじめ対策を心がけて頂けたら幸いです。