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日本人とシフト 100点満点の道徳・儒教

 今日は多岐にわたる話をします。
 連合軍がとても不思議に思っていたことが日本人捕虜の情報の価値でした。アメリカやヨーロッパの軍人は捕虜になったら「脱出の努力義務」があるのですが、日本軍はあれほど熱心に戦っていたのに、捕虜になるとポロッと態度を変えてしまったのです。フィリピンや東南アジアで捕虜となるとスラスラ第1級情報をいとも簡単に、連合軍側に流してくれるわけです。日本軍の経路や弾薬庫などの貴重な情報は簡単にバラしてくれます。連合軍は「これは罠かも」知れないと思い、疑っていたのに捕虜がいう通りだったのでとても不思議がっていたといいます。そしてレイテ島の捕虜たちは文字情報に飢えていたので交渉の末、捕虜新聞まで作っていました。限られた環境の中で連合軍が捨ててあった新聞や雑誌などから情報を得、新聞を作り上げたから僕は感心しました。捕虜新聞は日本に戻ってからもしばらくは続いたそうですが、残念ながら筆陣の加齢と死亡で10年〜15年後にはやむえず廃刊を迎えたそうです。僕には<声の文化の韓国人には持てない発想>だったので大変興味深く読ませていただきました。

捕虜新聞の実際の紙面構成

 敗戦後、マッカーサーは戦艦から降りるときにかなり緊張してようです。銃弾がないと竹槍で向かってきた人たちですから緊張するのも無理がなかったでしょう。しかし、降りてみたら昨日まで敵だった人たちが、突然満面の笑みで迎えてくれたので内申かなり驚いたそうです。花束をくれるし、やがて占領軍相手に満面の笑みで花を売る女性もいたのは誰でも知っているとおりです。この不思議な経験をマッカーサーは国務省に報告します。だいぶ忘れていますが、「アメリカにおける12歳の問題児の心の病歴のある少年の少年の状態」に例えていたと思います。アメリカではこのようなシフトはありえない価値観だからです。名画「戦場にかける橋」で、脱出するために自分の糞を食べて精神異常者と思わせ脱出を図った将校の話がありますね?そのくらい連合軍は態度のシフトがあってはいけないわけです。

 大江健三郎さんは小学校の低学年のときに終戦を迎えてました。あれほど米軍を貶していた担任の先生が、突然米軍賛美を始めていたときのショックをどこかで書いてますね。この出来事で大江さんは大人不信に落ちてたとか書いてました。

 日本人はシフトがとても得意といえます。立場が変わると突然態度を変える傾向が強いと思います。この点は一般人はもちろん自分の経験としても持っているでしょうし、後ろめたさが殆ど無いのではないでしょうか。一方、態度をなかなかシフトしてくれない人がいたらどうなるでしょうか?

 逆に韓国では態度のシフトのしやすさは韓国人にはネガティブに捉えられます。実際はともかく価値観としてはネガティブに捉えられます。態度のシフトが容易な人を韓国では嫌うと思います。韓国の会社に就職した日本人社員は自分をシフトして合わせていくからいいですが、日本の会社に就職した韓国人社員は違います。なかなかシフトしてくれないし、会社の方針が変わったんだといくらいっても聞いてくれませんといった日本人もいました。韓国人社員は自分を信念の男と自負しているし、逆に会社と戦う姿勢をとることがおおいでしょう。

 日本人には不変の道徳や秩序がないとは言い切りませんがかなり薄いはずです。状況次第で集団の今の考えを自分の道徳律として受け入れていくわけでしょう。だから、会社や組織の方針転換に不満があっても、しっかり自分を合わせていく努力をするはずです。でも、韓国人にはこのシフトがほぼ絶望的と考えたほうがいいでしょう韓国人は絶対的で普遍の道徳のみを道徳と感じます。儒教もキリスト教もそうです。徹底的に原論原型のみを求め続けて行きたがるのです。だから、王朝時代、中国人民は「儒教も知らない」と貶してました。日本に来た通信使や製述官(記録担当)も「儒教の教養がない」と嘆き続けています。ほぼ全員の通信使などが同じ発言をしていました。ただ一つ、日本の「儒教が100%本物ではない」と嘆いていました。今日も同じです。韓国人牧師がヨーロッパやアメリカの牧師を侮辱します。「あなたのどこが牧師の振る舞いか」と攻撃的になるし、韓国でも「私こそ本物のキリスト教牧師で、あなたは異端だ「私こそ正統派」という議論のみが縦横無尽に交わされます。僕も自慢ではありませんが、よく韓国で攻撃されます。「お前は本当に教員か?本物の先生とはな!」と説教されがちです。常にそうです。
 僕はうんざりしていますが韓国国民一般は「100%の正統性」を求めるわけです。ソウル市内の繁華街に行けば例外なく「イエスを信じなさい。天国にいけますよ」と大きなスピーカーを鳴らしながらひたすら伝導する人たちがたくさんいるはずです。でも、聞いていると彼らはほとんど異端宗派と思われます。世界中で韓国人が「100%正しいキリスト教」を伝導しようといっています。今でもいつでも韓国人は100%を望みます90点はいけません。民主主義も100%の民主主義を求めます。今回の戒厳令の後の混乱も「100%の不当不法行為」と主張する人と、なぜか「100%無罪だ」という人との戦いとなっています。90%の犯罪でも100%の犯罪ではないから許すべきだというのが、反対論者たちの詭弁の元となっているでしょう。

 有名私立大学の友人が僕に悩みを打ち明けます。韓国人教授を雇ったのだが全く悩みのタネだ、言うことを聞かない、いつも喧嘩売ってくる、もううんざりだ!と叫んでました。僕は見なくてもわかります。「事前に僕にいえばアドバイスしたのに」。
 韓国人教授に会ったことはないですが、僕は占い師のように彼の行動を言い当ててました。彼はそれを自分の信念だと思ってるはずよ!だから会議ではいつも「正しさ」を求めているはずよ!といいましたら、僕の友人の女性教授は「どうして分かるの?感激!!!」といっていました。

 韓国人は大変わかりやすい民族(便宜上の名称*)だとすでに何回も書きましたが、一直線なのでわかりやすいはずです。韓国人を日本人の延長線で考えるから難しいと僕は思います。日本人は自分を合わせていきますが、韓国人は合わせきれません。自分を曲げて合わせようとする発想がほとんどないと思います。僕も、正直在任中は苦しかったです。「みんなで決めよう」という発想は実に苦しかったですね。会議中、みんなが寝てますのにそれでも、「みんなで決めたじゃないか」という事実が「ほしい」のでしょう。民主主義は本当に辛いです。実に大変ですね。

みんな熟睡中!なのにほそぼそと会議 ぼかしを入れてますが、これでもだめと指摘されるなら即削除します。

 今日は色々広げてしまい後悔してます。いつか書きたかった内容なのでそのままにしておきます。

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