転換性障害らしい~HSS型HSEの私と障害
さて、前回救急搬送されてから約1週間と半分ほどが経ちました。
かかりつけが変更となり、大学病院の精神神経科に再び訪れかくかくしかじか…と説明をしてみました。
症状➀声が出ない
一番の難点、失声症。発症自体は人生二度目。
発症して一か月経過しましたが、いまだに出ず~…
症状➁耳が痛い
右耳がやけに詰まった感じが続いています。ちょっと聞こえにくい。
症状➂首がめっちゃ痛い
元々コリがすんごいんですけど、やけに痛いんですよね。
なんなんだろうと思うくらいめっちゃ痛いです。
症状④胸が超苦しい
なんだかすごい胸が息苦しいというか…圧迫感があります。
診断結果は…”転換性障害”
誰しも、心を守るためにエマージェンシーを抱えてるらしい。
強く悪口を言われたり、いじめられたり、当たられたり。
そんな状況を上手く回避しようと身体が働く。
前述の症状から、先生は「転換性障害」という言葉が出た。
元々通院していた先生からは「解離性障害」と診断されていた。
また違うのか…?
どうやらまた違うものらしい。似たようなやつっぽいけどなんか違う。
悪化なのか、併発なのかはよく分からないが、どうやら昔のヒステリーと呼ばれていた分類のものを指すらしい。
治療は”認知療法”をメインに、補助として”薬物療法”。
睡眠障害があるので入眠薬を処方されており、ゾルビデムとデエビゴというものを飲んでいる。各1錠だったが、とんぷくとしてデエビゴをプラス1錠。
抗うつ薬としてエスシラロプラムというものを1錠。
あくまで補助なので過剰な期待をせず、と釘を刺された。
多分中毒?とかを防ぐのがあるのだろう。
転換性障害?と向き合う治療は…
さて、問題は認知療法だが、先生から勧められた動画を観た。
時間をかけて、焦らず、と言われている。
確かに数年前に「適応障害」と「失声」を患ったときは無理やり治したというか、抑え込んだ感じだった。
時間というのは有限だし、無限では無い。しかし、治療をするためには時間をかけ、自然と意識を薄くしていく、対処をどうするか考えるのが良いだろう。まったくだ。なんであんなせっかちしてたんだろう数年前。
その意識を薄くする、というのが中々に難題だと思っている。
「気にすんな」と言われれば「気になる」し、
聞かない!と思えば余計聞いちゃう。
詳しくは動画を観てほしいが、ここでは自分の置く身をどっか遠くから、または絵本を読む人になる。と言う。
つまりは第三者目線でいろ、ということか。
傍観者ともいうべきか、漫画の読者的な目線というか。
そんな感じのことだろう。
そうすることで、”恐怖”や”恐れ”から自然と回復するとのこと。
HSS型HSEが「なぜ辛かったのか」を言語化する
繊細さん、と呼ばれるなかのHSS型HSE(外向的な繊細さん)を持つ私ですが。
この約30年いやはやどう生きてたんだ…?むしろどうやって息してたんだっけと思うほどまでに自分の特性と向き合っています。
自分のことは自分が一番知ってるだろ!と言いますけど、これがまたわかんないもんはわかんないんですよ!
前述の先生の話から、「なぜ辛かったのか、言語化していこう」とアドバイスを貰いました。
言語化か~…デザインの勉強でも言われたな~言語化~…とデジャヴ~を感じながらも、なんとなく言語化、について苦手意識があったり…
①その症状が出た直前に何があったのか
②どんな気持ちだったのか
③正しく向き合う
を、整理してみようということですが。
人の感情と音が不安を仰ぐ…
時間を巻き戻して、救急搬送される数時間前は免許更新の講習でした。
1時間弱かけて免許センターへ向かい、声が出ないのと諸々治療中なので「申告書」の回答が”はい”まみれになり、別室へ。
運転相談室みたいな名前の部署へ通される。
ここは実は、5年前の更新の時は杖を付いていたので(股関節形成不全でまともに歩けなくなっていた)、一度来ている…と、記憶している。
ここで思ったのは「え、私免許更新できないんじゃね?」という不安。
話をした警察官?の人もちょっと冷たいような感じだったので「おお私やばいんじゃね?」「もしかして…」とヒヤヒヤ。
人一倍、音を気にするので、電話が鳴り響いたり、ヒソヒソと会話をしている様子なども目に入り余計ヒヤヒヤした。
診断書の提出や視力検査、撮影を終えて、講習を受けて無事に新しい免許を受け取る。
「あ~良かった」などと思うはずもなく、この日、旦那に乗せてってもらったのでロビーで待っていた旦那に声をかける。
すると「ようやくか」という感じで表情が曇っていた。
ここでも、気にしてしまう部分が発動。「朝早かったし迷惑かけたな、申し訳ないな…」と思っていた。
でも旦那は何より表情が読み取りやすいのでわかりやすいといえばわかりやすい。腹が減ればイライラしてるし、眠かったらもうおやすみ!といった感じで誰よりも分かりやすい。
今に始まったことではないけど、こんなにも表情が気になる。
そのあとお昼でも食べようか、と話をしていたが空腹なのも相まって旦那の表情が徐々に曇りから怪しくなってきた。
筆談なのですぐに回答できるわけでもなく、身振りでも上手く伝わらないのでどうしよう…と思うのが最近。
そのあと、じわじわと頭痛がしてきたので帰りまで目を閉じることにした。
帰宅後、頭痛に耳から首筋にかけて痛みが出てきた。
横になろうと寝っ転がる。
しかし数時間後、猛烈な激痛が走り救急搬送されると…。
救急搬送後、自分のことが不安
今まで身体の不調があるたびにCTとか、MRIとかやってきた。
しかし今回でも精密検査をすると原因不明と言われる。
今回、耳が痛い、聞こえにくいという症状があったので耳鼻科でもめまいとか内耳検査もやったのだけど、機械的には何も異常がなかった。
じゃあ私の、自分の身に起きていることってなんだろう?
これが一番の恐怖だった。
自分のことなんて自分が一番よくわかってるだって?
んなの分かったら苦労しないだろ。
身体の不調は「転換障害」という現象だった
たくさんの不調が一気にきて、正直疲弊気味だった。
精神神経科の先生は今回の状況を「転換障害」と診断した。
ストレスが身体の不調となることらしい。
うつになって2年ほど経とうとしているなかで、出口も見えない治療。完全に薬物療法だし、基本的に家にこもる。
当初は誰か一緒にいないと不安だった外出は
車が必要な時以外、電車とかの移動であれば一人でも出来るようになったのが救い。
しかし「人馴れ」しようと接客のパートを始めてみると、この久々の不特定多数に対する接客がキツイ。
ここ1年ほとんど家にいて、話すのは家族と、デザインの師匠くらい。
4年、前職をやってた時はだいたい決まった人としか関わらない。閉鎖的な空間だったと思う。
その前も1年ほどやった整備士も表に出ることは無い。お客さんに整備説明をするのはフロントの役割だった。
よくよく振り返ると、「不特定多数の誰だかわからない人とどう接していたのか分からなくなっていた」。
更に前職のトラウマで50、60代くらいの人が苦手になっていた。
高校生のころ接客のアルバイトをしていたころは喋るのが楽しかった。できたばかりのお店だったのもあって自由に作っていくような感じだった。
しかし段々と閉鎖的な空間っぽいところにいたんだなと、会社員になってから気づいた。楽しくなかった。
昔、親によくいわれたのは「規約とか押さえつけられたりすると仕事しにくいタイプだと思うぞ、だからうちは自営業なんだ」といわれたことがある。
しかしなき祖母からは「勤めなさい、立派な人になるのよ」と言われていた。
収入が安定しないから自営業アンチみたいなもんだったので、会社員でいることが幸せなんじゃないかなと思っていた。
でもだんだんと、生きにくくなる実感が出てきた。
我慢、グッと堪えるようなことなんだろうが、私はなんだか苦しかった。
やっぱり自分と向き合うというのは大事なこと
デザインの勉強を始めて、変わったのは、
「自分と向き合い、自分に合った生き方を考えよう」
という心構え。
ずっと、メカ畑で生きてきた。エンジニアになるのが当たり前だと思っていた、そんな環境で生きてきた。
でも、心のどっかでクリエイティブなことをやりたかった私がいた。絵を描いたりするのが好きだったから。
30手前でデザインに出会った。
世界が変わった。
頭を抱えたり、難しいけど楽しい。
バナーやチラシとか、一枚でどんなユーザーに、何を伝えるのか、面白い。街中で見かける看板や広告がエンタメになった。
凝り性なので、根っこから学ぶために色々な美術展に足を運ぶ。
元々旅行とか出かけるのが好きだったのを思い出した。
ついでに、ホテルの宿泊記も付けよう。Vログやってるし。
まだまだ見習いだし上手く仕事をとるのは出来ないけど、とことん自分と向き合うことで生きやすい何かがわかるかもしれない。