私は何者か、593
たとえば、絵画の展覧会。
青い計量器のある風景。また、オルソンハウスなる建物を描く。その建物に何かを注ぐ。その建物が、なにかを与える。素描や習作にかえって作家の息吹を感じることになる。
小さなすみれを描く。そのすみれの葉の裏返ったり、反ったりする様子など、いまさっき、そこで描いたような筆致。
それにしても、老若男女よ、そんなに間近に見ては、わかろうとしてわからなくなるときもあるのではないかと。
青い計量器のある風景は、仄暗い部屋の灯りのなかで、否応なく、青く浮かび上がる。遠くから振り返って、見よ。
さらに引き込まれる。
安藤忠雄。好きである。細かいことは知らないけれど、風の教会とか。だれか、結婚を誓った者がいるだろうに。もういまはない、六甲オリエンタルホテルとか。えっ、復活したのか。
そんな彼の設計した棟にモネやなんか印象派の絵画の常設がある。一部をアンドリュー・ワイエス。残るをモネの睡蓮。その、展示の一番右端。睡蓮の花が浮かび上がっている。それこそ、間近で見て、どんなふうに描いているのかと。影である。影が、ササっと、ほんとうに、さささっと、描いてあるのだ。
離れて見たら、その花が池面に浮かぶ。何度見ても、何度、行ったり来たりしても。その花はぽっと浮かび咲き誇る。魅せられる。魔法のようである。
こころを打つ。のである。
ほんとうである。
呼んでいる。のである。
呼ばれ、招かれ、嬉しい。
帰りは歩いても10分ほどで下界まで。だから、歩く。わたしの足で。
頗る、やはり、しあわせよ。
わたしは何者か。