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私は何者か、567


さっき、その夢の中のすみれのサシェの香りがあまりにも気持ちよくて目を瞑ったところで、目が覚めた。

再開発の新しいビルや芝生の広々としたお庭が、完成はしているが、何処か曖昧なような、例えば、長いコンクリートの階段にところどころ不均衡な水溜りがあって、コンクリート特有のあの匂いが立ちこめる。それは、また、夢の中で遠い夏の日の小学校のプールを思い出して、その、不思議な出来事を掠めたり。夢は自在で、数限りないボーダーをぴょんと飛び越えては、ふりかえって、おいでおいでをしている。

20世紀という梨がありました。いまは、甘みの多い新甘泉(しんかんせん)という、梨があります。農園の人たちが汗をかいて、文字どおり、額に汗して、育て、そして、丁寧に説明しながら、販売しています。

ほんとうに、果樹であれ、野菜であれ、無論、米など。つくり出すひとびとは素晴らしい。

あなたはどう。

わたしはこの夏、約3平米の畑にゴーヤと胡瓜とねぎとピーマン。

ところどころにマリーゴールドの鮮やかな黄色。黄金色か。コンパニオンプランツよ。

夢のなかでは、水溜まりのあるコンクリートの階段を登る。次の階には手紡ぎの布。その次の階には、手づくりの焼菓子。その次がフェアトレードの豆を使うコーヒーショップ。それから、切花、苗木。その次の階は本。お店に入るだけならお金など発生しない。必要ない。好きなだけ読めば、その人の価値も上がり、自ずと、対価は決まる。

そうこうしていると、まわりと部屋と自分の心の明度が同じになってゆき、モバイルの灯りだけが見える。

どんな花だろう。この香り。

あゝ、すみれの。

その、芳しさといったら、美しさといったら、どなたにも、勝てはしまい。

あらゆる香。すべての緑がそこにはある。


しっぺ返しとか、いやいや、自然はそんなことを考えてはいないし、我々は、小さなものよ。ほんのけし粒よりも小さき。小さきものの戯言かと。


伸びをして、四肢に力を漲らせる。


わたしは何者か。






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