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私は何者か、568


有閑のせいかどうか、日付に無防備になる。だから、えっ、もう、12日、ってなって、自戒を込めて、で、どうする。日付など私ひとりが忘れたとして、そんなのどうってこともない。私を連れても、置き去りにしても、陽は上り、陽は沈む。

そして、有閑特有の給付について、尻尾を下げて「こんにちは仕事」へ出向き、叙事と叙情に揺さぶられ、あゝ何処も同じ秋のゆふぐれよ。

と、外はといえば恐ろしくも太陽が燃えさかり、さながら、地獄の釜の蓋をとった体であり、生き物にとっては辛い西陽へとはや傾いている。

地獄といえば、小野篁さま、涼しい顔で今夜も井戸を潜るのでしょうか。もしやその懐中にモバイルなど忍ばせていたりして、いや、御法度か。

それにしても、有閑人となって以来、不思議と疎遠だった人から連絡があったりする。近況など当然互いに知らないはずなのに、何がこんなふうに互いを引き寄せるのだろ。昨日も今日もそんな電話を受け、電話ってところがとてもノスタルジックでセンチメンタル。それ以上でも以下でもない。だから、ペシミティブになってはいけない。互いに互いの健康を祝い、祈り、バイバイする。ひとの声とはほんに血が通うものよ。短いけれど、良き時間を賜わる。


今日、出かけようとした時、玄関のドアの上の硝子に何かが動く影が写っている。うっ、蜂。そおっとドアを開けると、10数匹の足長蜂と数匹のスズメバチ。こわーい。蜂の抗争である。やめてやめてー。他人の玄関前で争いごとなどやめてー。

結局、裏のお勝手口から出てゆくことに。

帰ってきたら、跡形もなく。

番外地となりぬれど。

蜂とて、生きとし生けるもの。受難。


ゆふがたの土砂降りは本当に凄かった。猫も犬も降って来るってやつか。雷も。

ソファに座って外の景色を眺める。稲妻を一本見た。なにを割くというのか。

遠い、とおい、記憶の礎。私のこころがブルルッと唸った。怖くなどない。ずっと、まえにもこんな風景を見た。


雨上がり、窓を開けると北側の窓から身体を突き抜けるように冷たい風が入ってきた。


なにを抱える。


わたしは何者か。




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