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私は何者か、560
片付けの功罪。
忘れていたもの、見過ごしてきたこと、を、思い出し、気づいて、泣いたり、笑ったりする。ひとりの午後の部屋。
仕舞い込んでいた写真のなかの我が子が、多分それを写していたであろうわたしの方を見て、笑っている。
こんな表情を、その時、ほんとうにわたしはわかって見ていたろうか。
その時の景色は覚えていても、その表情がこれほど生き生きしていたことは、全く覚えていないのである。
子育てが、それほど大変であると、自覚しなかったようにも思う。
しかし、
やはり、余裕などなかったのであろう。
その、あまりにも可愛らしい表情に、今さらながら、申し訳なく、不意に落涙。
自分さえ見失っていたのだろうか。わたしの子育て。
なんて、親なら、みんな、そういう思いか。も。
不肖私の、不肖でない子らよ。
ありがと。
ほんとうに、たいしたものではございません。
わたしは何者か。