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私は何者か、565


こころを何処にしまおうか。スヴァールバル世界種子貯蔵庫か。いや、そこへは行きつかないのである。

スピッツの正夢(好き)ではないが、思ったことなのか、夢で見たのか、その境界は曖昧ではあるが、なにかがほんとうに予想通りに起こるとか、デジャヴとか、そういうことは、良きにつけ、悪きにつけ、ふっと人間の持つ力を、うーん、四足演算とかじゃ、すいすいとはいかないのじゃないの。って、思うのである。


とてもいい気持ちなのは、それは、しあわせなことである。

嫌う、抗う、到底受け入れられないという、苦しみの奥底に何かを見つけてしまうことは、また、はるか、苦しみの始まりかもしれない。

夫の実家の片付けで、わたしは、そんなふうに感じて、無理をせず、あらぬ方を向いて、あらぬことを考え、知らんぷりの効用を思い、八方美人の斜め45度を構え、手放すことのなんとしあわせであるかということに気づいたのである。

そりゃあ、肩も凝る、知らぬ間に。

だから、

たとえば、泳ぐ。

たとえば、浮かぶ。

なんの波間か。

脱力の極み。

そして、得る。


いい気持ち。



極意などと。



自分に正直に生きるだけ。と。



わたしは何者か。


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