
私は何者か、616
どんなにか嫌な思いをしてきたとして、どうしても、捨てられないもの、捨てることができないことがある。その反面、幸福を味わったとして、何かの拍子にポイっと簡単に、永遠に、捨て去ることができるものもある。
システムというものに翻弄されてはいけない。
できるだけ取り込まれずに。そう願いながら、逆らうということの一見甘えでもあり、己を平衡に保つことの苦しさ。
水は、高きから流れる。
エッシャーは、その水をまた高きへ導き、元の流れへと繋ぐ。
鴨長明。しかももとのみずにあらず。
どちらがどうと。
膠着であるか。
己のこころに埋め込まれた、ちいさなチップが足先を微妙にずらす。
数年、わたしはただここに在るだけのこと。
言葉の端のはしのハシ、そこに見える、無作為の作為による、その人のチップの成せる業。本人は気づかぬ、それほど奥深く人を蝕むもの。蝕むなどと、傷つけられた者の感受であり、それを加えた者にはそんな作為は微塵もないのである。それ故に、かなしい。かなしいなどとふつうすぎるが、かなしい以外ないのである。
青い石を手のひらに包む。
それだけで、いい。
守るべきものも、守られるべきものも、これでいい。
そのとき、石は、意思であり、意志である。
夢の中に生きる己が夢のなか水を彷徨い石を意志とす
わたしは何者か。