私は何者か、579
指先やまつ毛の端にぶら下がっている、なにかどうしても離れることのできないものがある。それは、性というものであるのか、つまりは、本性か。どんなにどんなに駆けてみても、どんなにどんなに装ってみても、くっついてきて、顔を出すのである。
言ってはいけないことというものがある。らしい。誰が決めたのか。それはしらないし、こころの忠告かもしれない。
その一言がたとえ何十年という積年の思いの発露だとしても、言っちゃダメなんだ。
口を出た瞬間、その言葉は、意思として燦然と威張り散らかしてしまうのであるから。
たとえば、それが、ちいさな思いやりのつもりだったとしても、である。
朝から雨。いや、正確には夜中から降り続いている。
取り返しのつかない言葉は、ことばとして、消えることなく、その冷たい雨に打たれ、鉄よりももっと冷たく、黒く、固く、孤独で、見える限りの意思のなれの果てとなる。
さよなら。
雨が洗い流してくれる。とか、水に流そう。とか、そんなうまくいくわけもなく、また、できそうもないのである。
そして、そしてである。
それに気づいているのか、いないのか、それでもいいよと、言ってくれる人は、いったい。
その人は、まるで、私自身のなかにあるように感じる。
私は夢を見ていたのか。対象が目の前にありながら、結局は自分を愛しているのか。けれど、確かに実体はそこに在る。
つまりは、偶像か。
背筋が、ふっと、寒い。
ひとりとは真に一人ではない。一人ではないから、ひとりということに執着するのであろう。
そこにあなたはいる。
だから、私も居る。
わたしは何者か。