私は何者か、589
逃げたのか。いや、そういうわけじゃない。しばらくじっとしているだけさ。痛くはないんだ。不思議だけれどね。痛くないってことは、死んじゃうってことかな。って、昔読んだような気がする、何かの小説の。その話を思い出す時は、なぜか、葡萄畑を連想する。なぜだか、そんなのわからないけど、そうなのだから仕方ない。背景そのものが葡萄畑であったのかもしれぬし。
風が吹いている。古ぼけた如雨露、錆びてしまったスコップや、ペンキの剥げた看板。枯れた蔓がいつまでも窓の格子に絡まっている。
葡萄はどうなった。
そういえば、ブローディガンである。チャールズだか、リチャードだか、怒られる、でも、いま、思い出した。愛のゆくえを探していたら、リチャードがあらわれて、愛のゆくえじゃなくて、とりあえず読んだら、そこにあったんだ、冒頭の何行かよ。
前にも書いたが、愛のゆくえは、内容にはそぐわない、産婦人科の待合室で読んだ。
そんなふうにふわりと記憶が交差する。
ほんのひとつの文字や景色の解れから紡ぐ、ちいさな、タペストリーなのである。
そうやって細々と生きてきた気がする。
耐えられそうもないくせに、海原をゆく舟にいることを想像して。その世界では隣の芝生もなければ、ヒエラルキーなるピラミッドも見えない。いや、でも、恐ろしや、三角波を見た日には。
直火じゃ叱られちゃうけど、昔みたいに、ほんとの焚き火を見てみたい。もう、長く見ていない気がする。
なにを思い、なにを燃す。暗闇のなかの希望なのか。希望するほど、疲弊してはいない。我は、つい、生きているのである。
ぱちんと木が爆ぜる。
瞬きであり、20億光年でもある。
風にとばされる火の粉さえが我らの一部。
わたしは何者か。