私は何者か、583
うつろうことをよしとせよ。
いろいろと長く生きてきたようにおもう。わたしは、まだ、自分の歳に気づくこともなく、人もまた、私の歳には気づくまい。歳などと、都市伝説でもあるまいに。それだけ息をしてきたというだけのこと。長い短いがスケールだなどと、気の毒に。身体が丈夫であることは、しばしば、悩まなくてもよいほどの、多少なりとも気にかかること。ゆふぐれが頬を掠める。それでも、そこに、にょきりと二本の足で立つことで、ぎりぎり、自分を、保っている。保てるならばと欲を出せば、誇りなどほんの塵よと。けれど、ミルクブッシュが曰う。晴れた日ばかりよ、砂漠なら、だから、我らは、放っておいても美しい。そうよ。放っておいてはくれまいか。自分の意見をガーガー街宣車のように、ガーガー言うなら、それは、もしかして、アヒルの子とうたわれた白鳥の子のことか、白鳥が美しいのか。白鳥座X-1なら全てを飲み干してくれるのか。なんでも、かんでも、未知との遭遇。リチャードドレファスか。そして、スタンド・パイ・ミー。思い出したのは、古い映画の出来事で。それならばと、パリ・テキサス。愛しすぎるとダメなんだ。ほんとの愛とはなんだ。松岡正剛さんは死んでしまった。
死んだことすら、気づかぬのよ、きっと、わたしなら。生まれた時を間違えて。間違えたのか、否か。自分の意思などあったのか。これからもあるのか。少なくとも、わたし自身は此処に在る。こうやって在ることの意味を問う。
わたしは何者か。