対象外映画作品所懐×3:『ナミビアの砂漠』『憐れみの3章』『ぼくのお日さま』(潤)
*「なんて言えばいい!!」とバイきんぐ的な心地を覚えつつも137分間ずうっと楽しかった『ナミビアの砂漠』は、現在の日本エンタメ界で完全なる無双状態の河合優美さんが高強度の生々しい存在感をもって演じるカナを爆心地とした演技的な爆発の風圧に晒され弄ばれ、映画的表現の愉楽の奔流に身を任せたところで「映画なんてみて何になんだよ」というセリフに冷や水をブッかけられて思わず笑ってしまったらばもう術中、寛一郎さんが緻密で完璧に薄っぺらく演じる捨てられた元カレのオン・ザ・ロード頽れ土下座に爆笑し、魔女のように時空を歪ませるくらいの説得力を持った唐田えりかさんとのキャンプ・ファイアに何故か目は潤み、ショッキングピンク空間での自己俯瞰ランニングに面喰らい、もうきっとカナのことを忘れることなど出来ないだろう。
*何の物語も汲み取れないトレーラからも、不気味で得体の知れないポスターからも、その内容が全くもって分からなかった『憐れみの3章』は、それはそれは盛大にヨルゴス・ランティモった怪作然としていて、謎は謎のままに説明も理由も排除されたままに不条理に時間とストーリーは過ぎゆき、ともすれば「何をみせられているのか」とまで思ってしまいそうだ(というか思った)けれど、しかしそれでいてやはり無類に面白くて、訳の分からない劇中の諸々の出来事を例えば、支配と服従、家族と疑似家族的集団、成り変わり/擬態、役者の配役と立場の変遷、そして生と性と死、というように要素要素で分節化していけば、これまでのフィルモグラフィに通ずるテーマを多々見出せるし、そのプロセスにはこれまでにあまり見たことのない歪な豊穣性が無造作に転がっている。
*主演の子役2人のとてつもない煌めきを冬の柔らかく眩い光で思いっきりブーストして、トイカメラのようなレトロさと古過ぎない新しさの色味でもって画面に刻み込んだ『ぼくのお日さま』は、そのとてつもないルックを観るためだけにでもすぐに劇場に行ってほしいし、スケートコーチ然とした池松壮亮さんの流麗な所作と佇まいは素晴らしく、それらも含めた上で全ての時間の全ての画面に尋常じゃない繊細さが行き届いていて、目眩く練習シーンでは涙を抑えられなかったのだけれど、後半の「理不尽な現実」を可視化した展開に「救い」「赦し」「フォロー」が必要だったかどうかということについては、未だ答えは出ていないし文字数も足りない。
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