文化は意識していない―自己啓発、組織運営に効く文化人類学入門#3
第2章 文化、基礎編
そもそも文化とは何でしょうか。少しややこしい話しになりますが、基本的な部分ですので、少しおつきあいください。
文化は意識していないのが問題
「極めて強い個人的差異がありながら、共通的なものを共有しており、ある現象について、かなりの合意点を見いだすことができる」
これが文化です。
たとえば日本人であれば、挨拶のときには頭を下げるとか、建前を大切にするとかいったことです。
人間は自分の文化に浸り、文化の影響を受けて生きています。そして、ここが大切なのですが、
本人はそれを意識していません。
そもそも認識していないのですから、何の疑問も感じていません。
ところが、あまりに自然すぎるのがかえって厄介です。
他の文化を劣っていると考えたり、野蛮だと考えたりすることもあります。実は、自分自身の行動や態度は、他の社会に属する者が観察すれば、異様に映っている可能性もあるのです。
ヒンズー教を信じる方は牛を食べません。牛は聖なる動物であり、牛を食べることはよくない行為です。しかし、わたしたちは牛を食用にします。日本では、なまの魚を食べますが、欧米の方々は食べません。
文化的相対主義
こういったことに気づく中で、自分の文化も含めて、文化は絶対的ではないという視点を取り入れるようになりました。それを
「文化的相対主義」(cultural relativism)
といいます。
「ある社会の慣習を、その社会のコンテクストの中で客観的に学び、理解する態度」
のことです。
文化的差異を相互に尊重し、自分の文化で人を判定してしまう独りよがりを避けます。
自分の文化だけが優れているとする考え方を、
「自己中心性」(egocentrism)
といいます。他の人と接点を持つことが難しくなります。
自分の民族だけが優れているとする考え方を、
「自民族中心主義」(ethnocentrism)
といいます。日本もこの考え方を強く持っていた時期がありました。
こういった考え方では、他の文化を自分の文化によって裁くことになります。他者をフェアに見られないばかりか、自分の文化を理解することも、自分の社会や組織の問題を扱いにくくなります。
自民族中心主義の対極にある考え方として、非文明化に対するロマンチックな憧れを抱くこともあります。これを、
「尊い未開」(Noble Savage)
といいます。
文化的相対主義は、自民族中心主義でも尊い未開でもなく、可能な限り客観的に文化を見るように努める態度のことです。
ジャッジしますし、有害な慣習であれば変えようとします。しかし、どこまでもフェアな態度を保つよう心がけます。
文化的相対主義は頭ではわかっていても簡単ではありません。他の民族の方々を心のどこかで見下げていないでしょうか。他宗教の方々を心のどこかで見下げていないでしょうか。
文化の属性
次に、文化とはどういうものかをまとめておきます。
第一に、文化は、範囲が規定される(acquired)行動パターンです。
たとえば国家など、ある特定のコミュニティーが存在し、コミュニティーのメンバーが一つの言語を用いている範囲があります。その範囲は隣接する民族には理解できないものです。
第二に、文化は、共有される(shared)行動パターンです。
個人個人に特有の行動パターンがありながら、大方の、かなりのメンバーが共有する行動パターンのことです。
文化は共有されるとき、強制力を発揮します。それを、
文化的強制力(cultural constraints)
といいます。
ヒント この組織はどういう文化を共有していて、どういう文化的強制力が働いているか
この強制力は、直接的であれ間接的であれ、行動を規制します。
一人ひとりの特殊性や個性をなくしてしまうわけではありません。それにもかかわらず一定の強制力を保持し続けます。ピア・プレッシャーなどはその一例です。
下位文化、サブカル
「サブカル」ということばがあります。
サブカルチャー、下位文化(subculture)
のことです。
共有される範囲が二重になる現象で、ある社会の中にそれよりも小さなグループが存在します。アニメ文化などはこれに当たります。
コミュニティーを形成すると、ほぼサブカルが出来上がります。会社も学校も家庭も、厳密に言えばサブカルです。外では通用しない、内部だけの文化を持っています。
ヒント 自分が属するコミュニティーは外とどう違うか
第三に、文化は、学習される(learned)行動パターンです。
大方の、かなりのメンバーが共有していても、文化でないものもあります。
たとえば、髪の毛の色は黒です。かなりのメンバーが共有していますが、文化ではありません。
髪の毛を茶色に染めるのは文化です。
食べるという行為自体は文化ではありません。生物学的なものです。
しかし、何を、いつ、どのように食べるかは文化です。魚を、なまで食べることは日本文化として定着しています。
少し文化についてイメージできたでしょうか。
続く ―次回は、もう少し基礎編です。
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