自己紹介―おきひろいとは私です
すぐれた投稿がめじろおしの中、この記事を覗きに来てくださったことを心から感謝致します。
おきひろい
おきひろいと申します。悩んでつけたペンネーム。けっこう気に入ってます。漢字では沖広伊です。異色のアラカン臨床心理士/牧師です。
大学時代
大学ではフランス文学を専攻。サルトル、スタンダール、ニーチェなど人間の深い部分を描き出そうとする、少し哲学チックな勉強をしました(学士、文学)。意欲がまったく湧かなかった灰色の時代。就活もやる気なしでした。
大学を出てから、牧師養成の学校に進みました。キリスト教関係の対人援助、フリースタイルの牧師を志しました。その後一貫して、人と関わる仕事をしてきました。
留学経験
30代前半の3年間、アメリカに留学、修士課程で神学と文化人類学を専攻しました。
どちらも自分の人生にとって意味のある学びでしたが、特に文化人類学は「目から音をたててウロコが落ちる」経験の連続でした。
詳細はマガジン「自己啓発・組織運営に効く文化人類学入門」をご覧ください。
挫折体験
その頃、社会的な責任も問われなければならないような対人的問題にぶつかりました。
すべて自分の責任でした。
本気で仕事を辞することを考え、上の人に正直に実情を伝えました。
そこで人生が終わっても仕方ないような状況でしたが、「もう一度ガンバってみたらどうか」と励まされ、ゼロから出直す決心をしました。
人生ゼロから出直し
この挫折体験、人生ゼロからの出直しは、自分の人生にとって決定的な意味がありました。
どこか形にはまっている感じで、自分の人生を生きていませんでした。
この経験ののち、人生観がメチャメチャ変わりました!
自分でモノを考え、自分で決断して生きるようになりました。
人の評価を恐れず、正しいと思うことをやって生きるようになりました。
自分はこうしたいと感じる気持ちに従って生きるようになりました。
臨床心理学専攻修士課程
仕事をするうちに、人と関わるためには心理学が必要だと感じるようになり、臨床心理学専攻の大学院に行きました(修士、臨床心理学)。
40代後半の決断でした。
院に行くためには、仕事のポジションを離れる必要がありました。
ずいぶん勇気が要りました。仕事の人間関係に疲れ、組織のふがいなさに絶望しており、人生を区切りたいという気持ちも正直ありました。
批判されることを恐れず、決心しました!
詳細はマガジン「40代のオジサンが臨床心理士を目ざしてみた」をご覧ください。
修士論文のための研究テーマはまだ日本ではほとんど取り上げられていない領域で、広範囲のリサーチに基づく我が国初の実証研究になりました。
臨床心理士になる
大学院を終わってから人材育成の仕事に関わるようになりました。仕事をしながら臨床心理士の試験に挑戦。無事合格し、晴れて夢の臨床心理士になりました。
人間科学専攻博士後期課程
修士課程の研究がとてもおもしろかく、継続研究が可能でした。
博士後期課程に挑戦することにしました。日本で研究されたことのないテーマだったので、だれも指導教官を引き受けてくれません。いろいろ探して唯一手を挙げてくれた先生がおられる大学院を受験しました。
50代前半の挑戦。
仕事をしながらでしたが、楽しい3年間でした。
博士論文は最終審査で不合格。単位取得後退学になりました。博士論文は幸いなことに翌年合格することができました(博士、人間科学)。
専門は何?
臨床心理学、文化人類学、神学です。
ただ自分の研究は複数領域に関連があり、あまり研究者がいません。
研究者がいないということは、論文が書きやすいというメリットがある反面、なかなか評価してくれる人がいないことも意味しており、歯がゆい思いをしています。
書籍に挑戦
学んだことはお世話になった方々になんとか還元したいと思い、書籍にまとめることにしました。
アメリカ留学時代に学んだこと。臨床心理学を専攻したときに学んだことをベースに、自分の専門領域の実践も本にしました。
講義の仕事
大学や専修学校の非常勤で教える仕事も頂きました。本当にありがたいことです。
大学の非常勤は、人生の途中で新しい分野に挑戦しなかったら、なかった仕事です。
運転免許に挑戦
若い頃はエアライン・パイロットに憧れました。夢は叶いませんでした。
その代わりではないですが、運転が大好きだったので、プロとして仕事ができる免許を目指しました。
30代に大型一種免許と大型二種免許、そして50代になって牽引一種免許を取りました。
少しだけ、バス乗務員を経験しました。
詳細はマガジン「50代のオジサン運転人生、免許をいろいろとってみた」をご覧ください。
ハラスメントの取り組み
臨床心理学との関係でハラスメント問題に取り組みました。パワハラ、セクハラで泣き寝入りしている人がたくさんいました。
勇気をもって声を挙げてくれた方々に寄り添い続けました。抵抗勢力との戦いでした。それでも、自分が信じることと貫きました。
結局そのことがきっかけになって、長いことお世話になってきた団体と距離を取ることになりました。50代の最後でした。
父の理解
父は、最初牧師を志しながらさまざまと新しいことに挑戦し、臨床心理士を取るような自分の生き方に理解を示そうとしませんでした。むしろ反対でした。
何度か説明しました。博士論文もその1つです。しかし無理でした。
死ぬまで理解してもらえないだろうと、諦めました。自分は父の葬儀で何を語るだろうかということまで考えました。
ところが、ハラスメント問題がきっかけとなって団体と距離をとることになったとき、父がこう言いました。
「キミの側に立つよ」
50年来のギクシャクが一気に氷解した瞬間でした。
自分にとっては人生最大のイベントの1つになりました。泣きました。信じる生き方を貫いて本当によかったと思いました。
あとひと仕事
子ども2人も成人し、人生もあとひと仕事のところまできました。
40代から50代、ガチで学び、ガチで働きました。
団体と距離をとったので、仕事を変えざるを得ませんでした。
コロナのこともあり心理相談室はオンラインに切り替えました。発達支援にも関わり、動画配信もしています。
自分は本当のところ何がしたかったのか。今、何をしたいのか。残りの人生、何をしようか考えているところです。
末長くよろしくお願いします
こんなおきひろいですが、これからも末長く、どうかよろしくお願いいたします。
了
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