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怒涛の日々と離人症と私
昨日までがあまりにも怒涛の日々すぎて今日の私はぽっかりと心に穴が空いたようになっている。
まるで昨日までの人生が赤の他人の人生のようで、今の自分の心地よい日々が完全に別人の人生のように感じてしまうのだ。
朝からまるで雲の中にいるように包まれているかのように私と言う人間が生きているのは存在しているのは理解できるのだけれど、この人間の身体の器との感覚の違いと言うかがうまく把握できず、多分頭が混乱している感じである。
一言で言えば疲れ過ぎている単純にそれだけ。
今月、私が切り離したものと乗り越えた事の大きさに達成感を得てはいるのだが、寂しさだとか孤独だとかの感覚を少しだけ置いてきぼりにした上で突っ走ったので、身体と感情の不一致が生まれたのだろうと思う。
孤独の楽さ加減に気が付きつつ幸せを覚えつつ、巻き込まれる自分に恐怖を抱きながら今後も自分を守って生きていくしかない。
またその孤独に溺れるのは自分の寂しいと言う感情の時だから、うまく自分が楽しいと言う感情を持ち味としてその寂しさを乗り越えてるように。
孤独の中でも誰かの感情に巻き込まれることで幸せと言う達成感を間違った感情を得てそれによって潰れゆく自分をまた繰り返さないように邁進したい。
主治医が宇多田ヒカルさんの話を本当によくする。今日も私自身が雑誌のvogueの表紙を飾っていたことを伝え、またその中で精神分析をお母様が亡くなられた後から受けていることを伝えたところ主治医なりの見解を私に伝えてくれた。
彼女の性自認やお母様との事、ヒカルと言う名前の理由。
彼女が歌手としてその歌詞の中でうまく自分のことを本当に素晴らしく昇華していらっしゃること憧れずにはいられない。
彼女と私はほんの数ヶ月しか変わらない同い年の人間だったりする。
言葉を紡ぐ事が自分を生かすことになる事へ希望を持つ。
またほんの少しだけ私が抱えている自分の性自認に対しても徐々に落ち着きを取り戻しつつある中で主治医と話し合って行けたら幸いだと思う。
自分に明確な味方がいること、理解者がいる事そのありがたさを心の底から喜びに思う。
真夏のように暑い日中と冷え込むような謎の朝晩、まるで私の感情の動きのようで今の時期のリラ冷えを愛しく思う。
離人症で軽く自分が離れているような状態でも自分のことを愛おしく思える今に感謝だ。
私の人生を愛おしいと思ったそんな1日。
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