広島原爆の日
77年前の昭和20年(1945年)
8月6日(月)午前8時15分。
人類史上初めて
広島に原子爆弾が投下された。
原爆投下後に様々な機関が調査を行った。
しかし原爆によって死亡された方々の正確な人数について未だ不確定なままだ。
それだけ誰が何処に居たか等の資料すら一瞬で消え、その後も人の身体を蝕んだ証拠なのだ。
広島市で放射線による急性障害が一応収まりを見せた昭和20年(1945年)12月末迄に
約14万人が亡くなられたと推計されている。
人々は広島を建て直した。
地獄の絶望を味わってもなお
人々は諦めなかった。
77年後の今年6月21日から3日間
日本政府が参加を見送った核兵器禁止条約の初めての締約国会議があり、核廃絶に向けた宣言などが採択された。
世界唯一の被爆国であるのにもかかわらず日本が核兵器禁止条約を宣言しなかった理由は2点ある模様。
(1):アメリカ傘下においての保証が無くなるため。
(2):核保有国と非核保有国の分断をこれ以上避けるため。
要するに安全牌を大事に中立平和で八方美人したい感覚に見えてしまう。
77年前に被爆された方々はみんなご高齢になられている。
10歳だった方は87歳だ。
街は復興した。
日本の地位をも上げた自分自身達に自信もお持ちだと思う。
けれど沖縄同様、1番未来の日本人の平和へ向けて変えたい事が変わらずにいること。
歯がゆくてアタイは虚しい。
当事者の方々はどんなお気持ちなのだろうか。
今のアタイには相変わらずの無力さで何一つ直接的支援は不可能に近い。
だからアタイは今日を忘れない。
そして日本が核兵器禁止条約にサインし
また世界から核兵器廃絶への先陣をきる位の勢いある希望を祈り続ける。
そして
77年前から今も世界中どこだって紛争や戦争は起こり続け
現に今も隣国で起きている。
ため息をつきたくなる現状。
それでも自分には何一つ出来ないと諦めずに出来る事を実行出来たら幸いだ。
アタイはそう思うし信じている。
日本時間
8月6日の8時15分
黙祷を捧げる。
それは世界中の何処に居ても
誰と居ても
お金が無くても
誰もが可能な出来る事。
77年前の御魂へ祈りを捧げられる事は幸いだと考える。