在宅終末期医療
以前知人にこう言われました。
「この仕事は『悲しみを束ねる仕事』ですよね」
そりゃもう、驚きました。私はこの仕事を悲しいとは思っていませんでしたので。「寂しい」とは思うことがありますが。
仏教では「四苦八苦」の四苦とは、「生老病死」であるとされています。(八苦は「愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦」を加えたもの)
私は「老病死」という三苦の専門家を自負しておりますが、自分自身は「苦」を扱っているとは感じておらず、
日常生活の中の老病死にまつわる「不自由」を改善する「楽」の仕事をしているという認識をしております。
私はご家族様へ、おうちで旅立ちゆく患者さんを見守る時の心得として、「生活の中の『生』、生活の中の『死』」という言葉をお伝えします。
特別なことではなく、生活者として、日々の生活を大切にしてもらうことが最高のケアなのだという意味です。
この「生活の中の『生』、生活の中の『死』」という言葉をお届けするだけで、多くの方が「苦」に向き合うこわばりから解放されます。
老病死は確かに大きな悲しみをもたらすものではありますが、時には闇夜の中でしか見えない光を認識させてくれるものでもあり、「苦」でありながら不幸のタネとは限らないのです。
老病死の不自由は、不自由であっても不幸とは限りません。
出生時より障害をかかえる子は不自由な児ではありますが、不幸な児ではありません。
「苦」は不自由をつれてきますが、不幸はまた別問題です。
なぜなら幸せというものは、絶対的な事象ではなく、自分の心のある場所なので、相対的なものだからです。
自分の心が「ああ、シアワセ」と言ったら外的な要因がネガティブな状況であっても幸せなのです。
ちょっと話はそれますが、先日亡くなられたキリスト教の司祭様が、訪問入浴時にあまりに気持ち良かったそうで、「ああ、ゴクラク・ゴクラク」とおっしゃいました。
そしてご自分で「ボクが『極楽』言うてしもたな」と笑っておられました。
ご自身でお風呂にも入れないほどの弱りの中で、幸せを感じ、ユーモアを披露される、こんな幸せな瞬間が終末期医療には多くあるのです。
そんな「苦」の不自由の中の「楽」が感じられる幸せな現場を実践していると、「悲しみを束ねる仕事」という言葉があまりにもかけ離れていると感じられるのです。