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幸せならいい

おともだちから「ごめんね」と言われたら「いいよ」って言ってあげましょう。

子供の頃、保育園に入ってから最初の頃に先生から教えてもらった事である。

使ってたおもちゃを取られた、仲間外れにされた、内緒話をバラされた。
子供の頃の私たちは、本当に色んな事がキッカケでいとも容易く絶交したものだった。
人生始まったばかりだと言うのに、簡単に「一生」なんて言う。一生口きかない、一生遊んでやんない、一生許さない。

その代わり、仲直りする事も容易かった。相手が「ごめんね」と言ってきたら、即座に「いいよ」と言って仲直りの握手をすれば、「一生」なんて言葉はあっという間に無かった事にできたのだった。

簡単に「一生」とか言わなくなった頃あたりからだろうか。「許す」と言うことが難しくなった。相手に向かって「一生許さない」なんてことは言わなくなったけど、「いいよ」と言って握手する事もできなくなった。


高校1年生の秋口に、三日間だけストーカーに遭った。
等と言うと大袈裟ではあるが、ちょっとした事件が起こった。

突然私の携帯電話に、知らない電話番号から着信があった。
電話に出ると若い男性の声がした。男性は私の中学の頃の同級生の名前を出し、彼の高校の先輩である事を簡単に話し、唐突に言ってきた「俺たち付き合わない?」

当時恋愛に疎く、彼氏がいた事も無かった私には寝耳に水の話であった。彼の顔も知らないし、何なら名前も知らない。そんな人に突然「付き合おう」と言われたところでどだい無理な話だった。

あなたの事をよく知らないのに付き合えないと言うが、彼は引かなかった。
俺の写メ送るよ、と言って添付されていた写真は何故か裸だった。
電話とメールはひっきりなしで、私は呼び捨てで名前を呼ばれ、全くもって意味の分からない展開となってしまった。
夜中1時頃何度も着信があり、たまらず出ると「今着てる下着の色を教えて」なんて荒い息遣いと共に言われた日には流石に怖くて泣いてしまった。

私は私の連絡先を勝手に教えた中学の同級生の事を恨んだ。なんで私がこんな目に遭わなければならないのか。この件に関して私には何の落ち度もないはずである。ただ普通に暮らしてたはずなのに、突然変な男から気持ちの悪い電話やメールが来るようになった。その原因となった人への強い怒りと憎しみで、頭がおかしくなりそうだった。

下着の色を聞かれ、眠れぬ夜を過ごした翌朝、母にこの件を伝えた。
何がどうなったかは知らないが、その日以来男からの連絡は途絶えたのであった


あれから20年の時が経ち、色んな事を知ってすっかりおばさんになった今はこの出来事をフラッシュバックするような事もない。あの頃の私は何で着拒しなかったんだろうって思うくらいの事である。ただ、今も私の連絡先を勝手に教えた同級生の事を思うと苦々しい気持ちになるのである。いいかげんしつこいと自分でも思うのだが、きっとまだ同級生の事を許せないでいるのだろう。


一方で私も相当に色んな人に恨まれる事をしてきた。
傷つけようと言う意思を持ってしたことはないのだが、私はいかんせん言葉のチョイスと言うタイミングがおかしい事がある。そして怒るタイミングもおかしいし、感情の起伏も激しいため、今までたくさんの友人が出来ては離れて行った。時に激しく罵られる事もあったし、黙ってブロックされる事もあった。私が傷つけてしまった結果なのでそれで私が傷つくのは筋違いと思ってはいるがやはり悲しい事に変わりはないので、今は交友関係を極限まで狭めて必要最低限の人と付き合うようにしている。

私が傷つけてしまった人たちは、今でも私の事を許せないでいるのだろうか。どこかで私の不幸をひっそりと願っていたりするのだろうか。それは分からないままである。


私が高校生の頃、私と両親との関係は最悪だった。
この事については先の記事「毒親だったのかもしれない」で少し触れている。

詳しい話は割愛させていただくが、私は高校生の頃、ある日突然両親への怒りや憎しみが噴出してしまった。過去にされてきたことに対して怒りが吹き出す。こうして欲しかった、こうして欲しく無かった。毎晩毎晩親に長文で怒りのメールを打った。

そんな私の将来やってみたかったことは、死にゆく両親に今までの恨みを囁いてやることだった。薄れゆく意識の中で、お経のように唱えられる罵詈雑言を聞きながら死んで欲しいなんて思った。

そんな自分に、私の恩人でもある人が言ったのだった。

「許さなくていい。許せないのなら一生許す必要はない。だけどね、許そうとしてみて。それが君の事を救うと思うから。」

「許そうとしてみる」この概念は私に無かった。
許すか許さないかのどちらかしかないと思っていたからだ。

許そうとしてみる、と言うのはやってみようとするとなかなか難しい事だった。
「もういいよね」と思う一方で「ここで許したら今まで辛かった自分の気持ちはどうなるのか」なんて考えが頭をよぎり、怒りが吹き出してくる。もうどうでもいい、なんて投げやりになることもあったと思えばある時突然激しい衝動が湧き起こる。

怒りの炎は強まったり弱まったりを繰り返していた。
怒りの火力を調整するのに四苦八苦しながら、私は「許そうとしてみる」と言うのを考える日々だった。この考えが私を救う日、私は何を考えるのだろう。

怒りの炎は二十代半ばあたりから徐々に落ち着いていった。
大人になってから私たち親子は色々な話をするようになった。そうするうちに子供の頃、大きな壁だと思っていた両親が実は思ってた以上に小さくて、弱い部分も持ち合わせていた事に気付いたのであった。

両親の事を許したのかと聞かれると、よく分かんないと答えるしかない。
未だに親と話していてモヤモヤすることはあるし過去のフラッシュバックがあったりもするし。完全にこの火を消すのは難しい事だろう。

「許そうとしてみる」日々は今も続いているのだ。

ただ、許そうとする事は確かに私のこころを救っていると最近思うのである。

許さない、と言うことは執着でもあり、許さない事は憎い相手がこころの片隅にじっと存在することになる。
許そうとすることでそのこころの執着を手放す事ができると考える。執着を手放していけばいくほど私のこころを軽くする事ができるのである。

許す、許さないと言う感情は別に特別なものではない。
気を許した友人やパートナーにだって時に許せない部分というものが出てくる。
夫は私の片付けが下手な部分が許せないし、私は夫の主婦の仕事を時々軽んじてるように話す部分を許せない。お互い許せない部分がありつつも、その関係が破綻しないのは無意識のうちに相手の事を許そうとしているからなのかもしれないと思う。
許せない部分がありながらも、それを許そうとする事ができる人はなんだかんだ言って特別な存在だからであろう。相手に関心が持てなければ、そもそも許す許さないと言う前に、相手から離れていく事だろう。私達は許したいから対話を重ねているし、自分のこころに折り合いを付けようと務める。

相手に関心があるから許せない部分も出てくるし、その感情をどうにか噛み砕こうと努める事ができるのである。

私たちは許し許され生きている。私が許そうと努める相手もまた、私の事を許そうとしているのかもしれない。そう思うと、許せない気持ちもまた、ひとつの愛の形なのかもしれないと思う。

最近私は、許せない相手が頭に浮かぶ時にその人の幸せを願うようにしている。
不幸を願う気持ちは相手への執着を産むから、そうすることにした。

先輩に勝手に私の連絡先を教えた彼の事も時々思い出す。苦々しい気持ちと共に。
彼は今どこで何をしているだろう。幸せならいい。

不思議なことに、相手への不幸を願い続けてた頃よりも私のこころはラクになった。
今では私のこころをラクにする呪文のようになっている。

あなたの事、まだ許せないけど。
幸せならいい、幸せならいい。







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