メッセージ 第7回 「生の証明」(前自由学園最高学部長ブログ)
「生きる」とは、決断の毎日を云うのか。日々私たちは、決断を求められている。その決断が「生きる」ということなのか。もしもそうだとしたら、人は何時もその決断が正しかったかどうか、白か黒か、はっきりさせるのが生きることの積み重ねであるということになる。
「生きる」とは、そんなにはっきりしたことなのか。私は、「生きる」ということは、右へ行くか、左へ行くか。その決断を求めているものではないような気がする。「生きる」ために、Aか、Bか、選択のための黒塗りの鉛筆はいらない。行く手にあるのは