まだ見ぬ奇跡を信じる

エテル12:17-19
キリストの3人の弟子たちが死を味わわないという約束を得たのは、主ならそれが可能であると信じたから。
私たちが奇跡を待ち望むとき、先に信仰の目でそれを見ることができる。その後、実際に自分の目で見ることになる。

こうなりたいと思うとき、「私には難しい」と諦めたらその機会は失われる。
目標を明確にし、祈り求める。そのために何が必要か調べて書き出す。一番近くのマイルストーンから実践する。
自分の力以上のことをやろうとするとき、信仰を持って主に助けを乞う。その目標が御心であるという確信があるなら、人からの嘲笑を恐れる必要はない。

26-28
人を嘲るものは愚か者であり、のちに嘆き悲しむ。柔和なものに主の恵みは十分であり、誰も弱さに付け込むことはできない。
人が主のもとに行こうとするとき、弱さを示される。それによってへりくだるならば、主は弱さを強さに変えられる。
信仰と希望と慈愛によって弱さを克服し、主に近づくことができる。

成長したいと思うとき、自分の弱点から目を逸らさず、克服できるよう主に頼る。「お前にはできない」という思いは、サタンの嫉妬による誘惑である。
弱さを克服するとき、それは弱点がなくなるというだけでなく、自分の新たな強みになる。

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