MOTHER3の3つの思い出
先日2月21日にNIntendo Switch OnlineにてMOTHER3が配信されたので、このゲームをかつてリアルタイムに遊んで今でも自分の中に残されている思い出を、再度プレイすることで思い出が上書きされてしまう前に、インターネッツの海に保存しておこうと思いこの記事を執筆することにしました。
Welcome to “my” MOTHER3 world
◆「とむらい」のこと
筆者の両親はとてもゲームに寛容な人で、時には子どもだった筆者よりもゲームをする人たちであり、最近でも未だにゲームを趣味としているほどです。詳しくは後述しますが、筆者の母はGBAの「MOTHER1+2」をきっかけにMOTHERシリーズをすきになり、その結果MOTHER3を購入したようでした。母のゲームプレイを見たり時々ゲームを貸してもらったりして遊ぶのがすきだった筆者も、当時のゲーム雑誌を眺めながら楽しみにしていました。
はじめて手にしたMOTHER3は陽気でご機嫌な世界へ導いてくれましたが、そんな序章は束の間、次に表示されたのは「とむらいの夜」でした。
MOTHER3が発売した頃は筆者は小学生高学年くらいで、周りの子どもに比べると勉学が疎かで学のない子どもでした(それは今でもさほど変わっていませんが)ので、MOTHER3を始めて「とむらい」の意味がよくわからなかったことを憶えています。しかしこの時は自分で調べたり家族に言葉の意味を聞くことがありませんでした。
第1章は家族の絆を引き裂かれてしまう悲しい物語が展開していきますが、ヒナワたちが帰ってこなくても、引き裂かれたヒナワの服の切れ端が見つかっても、伏線なんて読み取ることもできなかった子どもの筆者はただひたすら無事を信じていたことを憶えています。
例の焚き火のシーンで、筆者の母は泣いていました。しかし筆者には何故自分の母が泣いているのか、何故フリントは暴れていたのか、どうしてヒナワが死んだのを皆は受け入れているのか、何もかも全く理解できませんでした。その癖にヒナワの墓に行く道中の会話で「人間には忘れる力が備わっているのだから悲しいことも忘れられる」と語る住民に対して「大切な人のことを忘れられるわけない!」と憤ったことを憶えています。
筆者はいつ頃「とむらい」が「弔い」だというのを理解したのか憶えていません。少なくとも1章の物語を通して「だからとむらいの夜だったんだ」と理解は出来ませんでしたし、この知識はMOTHER3のことを思い出さないまま身につけていたように思います。そして今度の再びのプレイでようやく「とむらいは弔いだった」と思い直すことができました。
これが私が最初に思い出すMOTHER3の記憶です。
◆「ヨクバ」のこと
MOTHER3のキャラクターは大半が印象的なのですが、そのなかでもとりわけ自分の記憶に焼きついているキャラクターがヨクバです。意地悪で欲深でいつもサルサを虐める乱暴なキャラクターだと目に映った筆者には、MOTHER3を通り越して創作に出てくるキャラクターで一番嫌いなキャラクターになりました。そもそも子どもの頃から、歳をとると尚更、創作における登場人物を嫌いだと思うことがほとんどない筆者にとって、あまりにも鮮烈な印象を残したキャラクターだと言えます。
このヨクバ、終盤に訪れるヨクバの部屋付近にいるネズミから、ヨクバについて「自分にとっては食べ物を分け与えてくれる優しい人」のような話を聞くことができます。
はっきり言ってこの時点の年頃の筆者にとってはその話はとても信じ難いもので、自分で目にした限りヨクバはサルサからバナナを強奪するしてしまうほどでとても食べ物を誰かと分かち合うキャラクターには見えませんでした。これは接した人によって人の印象は変わることを示しているらしいのですが、ことヨクバに限っては誰からも横柄な人物に見えるだろうと思ったものです。※参考↓
しかし筆者は社会に出るようになって「ネズミにとってのヨクバ」のような人物と実際に会ったり仕事をする機会がありました(糸井さんはMOTHER3を遊んでいた当時の筆者と同じくらいの年頃には既にそんな経験をされていたんですね)。
その人たちは共通してある集団(上司陣など)には仕事への取り組み方も態度も悪いとして仕事場で頻繁に悪い噂や陰口を耳にするほどで、一方筆者に接する時はとても優しく親切に対応してもらったという印象があります。そのため筆者はその人たちの陰口を耳にするたびに「自分にとっては良い人なんだけどな」と思い、その時ふとヨクバのこととあのときのネズミのセリフを思い出しました。
態度が悪いとされていた姿も親切な姿もどちらもきっとその人の真実の姿なのでしょう。筆者はその人にとって無害だったので優しくしてもらえたにすぎないかもしれません。大人になってようやく人の見方の違いというものを理解できたのだと思いました。
こうやってあるときふと昔わからなかったことが理解できる時は訪れるものなのですね。自分も人によってどの「ヨクバ」として見られているかわからないものかもしれません。
◆「母」のこと
筆者の母はMOTHERシリーズが大好きです。まず母とのMOTHERの思い出で憶えていることは、母がMOTHER2をプレイしながら最後の戦いで泣いていたのを見たことです。
この時母に何故泣いているのか尋ねたのですが「自分自身がネス達のために祈っていることに気づいてそれが一番強い攻撃になったのが感動した」と言っていたことを憶えています。しかしこの頃はさらに幼かったので、そもそもいのりの力でギーグを挫くこともプレイヤーの祈りも強い力となっていることの演出の意図がよくわかりませんでした。もちろん母の気持ちなど全くわかりませんでした。
筆者は後年にMOTHER2をプレイし直した時、最後の戦いもそうですし、トンズラブラザーズを何度か助けた時の「俺たちはお前達の味方だ」という何気ないセリフを聞いただけで泣いてしまいました。こんなにしょうがなくて素敵な大人達が味方なら最高だなと思い、それだけでつい涙ぐんでしまいました。今ではあの時の母の気持ちも十分に想像できると思っています。
ちょっと脱線してしまいましたが、そんな母との思い出で一番印象に残っているのはMOTHER3のラストバトルに二人で立ち会ったことです。
シリーズの例に漏れずこの戦闘は特殊なもので、こちらはとある事情から一切の攻撃が出来ません。だからこそ母と二人どうすれば戦闘が進むのかあれこれ考えたり話し合ったりしました。何をやってもすぐ倒されてしまい、しょうがなく致命的なダメージを喰らったら回復するというのを繰り返して様子を見ていたところ、偶然にもあの「母親」の声が聞こえてきて、攻略の糸口が見えたのでした。
そしてもう詳細こそ覚えていないのですが、筆者は母と二人、戦闘を進めるたびにずっと一緒に涙を流しながら画面を見つめていたのを覚えています。そして二人でクライマックスを迎えた最後の最後、画面の向こうの色んなひとたちから感謝の言葉をもらったときに、このゲームをやって色んな気持ちを覚えたけれど、でもなんとなく報われたような気持ちになったのを覚えています。
日常生活において自分の母が泣いていたことなど全く目にした記憶がないのですが、MOTHERシリーズといえば母がよく泣いていたことを思い出します。そしてこのことは一生自分が抱えていく思い出になるかもしれません。
◆ドアノブを手に再び物語の世界へ
あの頃は幼かった筆者ですが、あれから自分なりにたくさんの物語に触れながら生きてきました。自分の中では2度目のプレイでひとつの解釈をこの作品に出せるのではないかと思っています。
ところで物語の最初に外れてしまったドアノブはプレイヤーの手に渡ることになるのですが、あのドアノブは「物語の扉を開きしもの」であり「物語から帰るときに必要なもの」そして「いつでも再び物語の世界に行き来できるようにするもの」なのではないでしょうか。ドアノブはMOTHER3の世界から受け取り現実世界に持ち帰った「何か」なのかもしれません。
うーん、思い出話以上に個人的な話になってしまいますが、最近の筆者はついついこう解釈できる創作を好んで集めてしまうなーなんて思ってしまいます。機会があればまた何れその話もまとめられたらと思います。
では最後にとてもくだらない話をひとつ。
筆者がスプラトゥーン3で1年ほど使用しているユーザーネームは「カのおまもり」であり、これはMOTHER3のそうび品由来なのですが、このネーミングを気に入っているのはカ(カタカナ)が力(漢字)に見えるからです。MOTHER3を遊んだ方で「カのおまもり」を「力のおまもり」と誤認した方、筆者以外にもいたりしませんか?