【短編小説】 あと1秒の足跡
4月1日。
今日から新しい毎日を歩む人も多いだろう。
しかし、僕はいつもと変わらず自宅のパソコンを開く。メールをチェックし、Slackで返信。1年前にコロナが流行り、それからはずっとリモートワークをしている。
僕は都内に住むあまりイケてないプログラマーだ。そんなに頭が良いわけではないし、仕事も早くない。この職種を選んだのも、あまり人と話すのは好きではないし、肉体労働もしたくない。何となくパソコンを使う仕事の方が向いていると思ったからだ。
おっと、そろそろ朝会の時間だ。Zoomを開いて参加する。
部長が参加人数を確認し、よし、と頷く。
「えー、皆さんそろったようなので、朝会を始めます。それでは、犬飼君から」
今日は僕からか。
「はい、昨日クライアントから要望のあった機能の開発を進めます。本日中に実装できる予定なので、確認をお願いします」
「了解了解。あ、そういえば明日のプレゼンの準備は進んでるかな?この案件はかなりの大物だからな。ミスは許されないぞ」
「はい、先日指摘された箇所を修正し、大体準備はできていまして、後ほどプレゼン資料を共有します」
「おう、頼むぞ。これを逃したら我が社もかなり痛手だからな」
朝会を終え、プレゼン資料の手直しの続きに取り掛かる。
本来であれば資料はもう完成している予定だったのだが、かなり作成は遅れていた。入社5年目となり仕事を振りやすいのだろうが、最近は頭がパンクしそうなほどの仕事が僕に回ってきている。なかなかプレゼン資料の作成ができなかった。
お昼過ぎに資料が完成し、何度か通しでプレゼンの練習をして、資料を部長に共有する。
お昼ご飯は昨日コンビニで買ったカップラーメンで手早く済ませ、クライアントからの要望にあった機能開発を進める。
時間は過ぎ、午後7時。機能の実装ができたので、先輩に確認をお願いする。やっと終わったと思ったその時だった。嫌な通知音がなり、部長からのメッセージが表示される。
「この資料の4~10枚目全部やり直し」
……今日も残業か。
結局午後10時過ぎまで修正を繰り返し、部長からのOKをもらった。
仕事が終わり、近くのコンビニに晩ご飯と明日の食事の買い出しに行く。いつも通り、カップ麺やお水、チョコレートなどの決まったものを買い、家に戻る。
カップ麺用の湯を沸かしていると、スマホの着信音が鳴る。画面を確認すると、彼女の友紀だった。最近は仕事が忙しく、ほとんどLINEも返していない。いや、返せる時間はあるのだが、どうしても仕事のことを考えてしまい、返信する気にならないのだ。
カップ麺に湯を注ぎながら通話ボタンを押し、電話に出る。
「もしもし、悟元気?仕事大丈夫?」
「いやーもう仕事疲れたよ。明日大事なプレゼンだし」
「そうだよね……。ごめんね、忙しい時に電話して」
「いや、大丈夫だよ。でも明日も早いし、ちょっと今日はもう寝ようかな」
「そっか……。わかった。明日のプレゼンがんばってね! 応援してるよ!」
「うん、ありがとう」
「それじゃあ、おやすみなさい」
「うん、ごめんね。おやすみ」
友紀は電車で2時間の距離に住んでおり、月に数回は会っている。しかし、最近は仕事が忙しく、もう1ヶ月くらい会っていない。
再来週は付き合って5年の記念日で、サプライズでプロポーズを考えている。しかし、なかなか準備ができず、今週末にでも指輪を買いに行かなくては。
おっと、明日がプレゼン本番であることを忘れるところだった。カップ麺をすすりながらパソコンを開き、プレゼン資料を見ながら練習をする。
何度か練習した後、シャワーを浴びて寝床につく。明日はがんばろう。
アラームが鳴り、目を覚ます。一瞬遅刻していないか不安になるが、時計は午前7時を差している。
ホッと一息し、身支度を整え、会社へ向かう。久々の出勤だ。
会社へ着くと、部長が自動販売機でコーヒーを買っていた。
「おはようございます」
「おう、おはよう。今日はよろしくな。コーヒー、いるか?」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
部長とコーヒーを一気に飲み干し、資料の印刷などを済ませてタクシーで取引先へと向かう。
見上げるほど高いビルの前にタクシーは止まり、緊張感は高まる。
タクシーの支払いを済ませ、ドアを開ける。
久々に着たスーツのネクタイをきっちり締め、部長とともにビルへと向かった。
プレゼンを終え、部長と別れて自宅へ戻る。こちらが伝えたいことは伝えきり、プレゼンは上手くいった。
だが、どうも取引先の様子がおかしかった。聞いているようで、右から左に言葉が流れているような。
まあ気にしていても仕方がない。自宅へ到着し、昼ごはんを食べてから、溜まっていた作業を進める。
作業途中に細かなタスクをいくつも振られ、またもや頭がパンクしそうになりながら何とか作業をこなしていると、気づけば時計は午後9時を指していた。
お腹が空いた。レトルトカレーでも食べようかとキッチンへ向かうと、LINEの通知音が鳴る。
友紀かな、と思っていると、珍しく母さんだった。
「久しぶりやね。元気かね?今日はお父さんの誕生日だから、メッセージでも送ってあげてね」
あぁ、今日は父さんの誕生日だったか。後でメッセージを送らなきゃな。
もう1年くらい実家には帰っていない。コロナが流行っているため、年末年始も帰れなかったのだ。
冷凍していたご飯とレトルトカレーを温める。今となっては母さんが作っていた料理が恋しい。一緒に暮らしていた頃は「またこの料理か」とか「ハンバーグかオムライスを毎日食べたい」とか言っていたが、一人暮らしを始めて、ちゃんと栄養を考えて作ってくれていたんだな、と感謝することが多々ある。
ご飯の上にカレーをかけ、パソコンを開いて資料を見ながら食べる。最近は食卓ではなく作業部屋で晩ご飯を食べることが多い。
気づけば時計が午後11時を差している。そろそろ終わるか、とパソコンをたたみ、シャワーを浴びて寝床につく。
アラームをセットして、スマホを枕元に置く。
朝起きて仕事をして、気づけば1日が終わる。ずっとそんな日々が続いている。
天井を見上げ、「何やってんだろうなぁ、おれ」と呟く。
あと何年かすれば仕事も落ち着き、家庭を持ち、平凡なサラリーマンとして定年まで働き、それなりな老後を暮らすんだろうなぁ。
昔はプロ野球選手とか、ミュージシャンとか、いろいろとやりたい夢はあったけど、今となってはそんなものにはなれっこない。
「まあ、これで良いか…」
そんなことを呟いて、眠りについた。
次の日は、最悪の目覚めだった。
部長からの電話が鳴り響き、飛び起きたのだ。
「昨日のプレゼン、ダメだった」
一言目で僕の顔は青冷めた。嫌な予感は的中した。
「どうやら、もうはじめから決まってたらしい……」
部長が言うには、僕らがプレゼンする前から取引相手は株式会社Futureに決まっており、名目上複数の会社で競争させて公平な取引をする、ということにしていたらしい。
「そんな……」
ため息が出た。僕にはどうしようもなかったが、この案件を逃すと会社の経営がかなり難航することは目に見えていた。
「ひとまず、犬飼君は今ある作業を最速で終わらせて、次の案件にすぐ入ってくれ」
「承知しました……」
プライベートの時間も削って、使える時間全てを使って準備していただけに、かなり落ち込んだ。
しかし、落ち込んでいる暇はない。仕事をしなくては。
今溜まっている仕事を全力で終わらせていく。
気づけば時計は午後11時半を差していた。
かなりの仕事は片付いた。ふぅ、と安堵の息を漏らす。
今日はここまでにして、明日続きをやろう。
そう思い、コンビニへ向かう。
横断歩道の手前で信号が赤に変わり、立ち止まる。
その時、ふと昨日の母さんからのLINEを思い出す。
「あ、そういえば、昨日父さんの誕生日だったな……。連絡するの忘れてたわ」
スマホを取り出し、LINEを開く。
信号が青に変わった気配を感じ、歩き出す。
次の瞬間。
「キキーーーーッ!!!!!」
なんだ?と思っていると、ドスンッ! という鈍い音とともに視界が大きく揺れる。
体が宙に浮き、地面に叩きつけられる。
何が起こったのかを理解した時には、もう手遅れだった。
僕は呆然とヘッドライトの光を見たまま、鉛のように動かなくなってしまった体をどうすることもできなかった。
死ぬのか……?
こんなにも呆気なく終わるのだろうか。
毎日普通に過ごしていただけなのに、明日はもう来ないのだろうか。
父さんにおめでとうの文字も打てなかった。
友紀とこれから楽しく過ごしていきたかったのになぁ。
考えるほどに悲しくなる。
そして、ゆっくりと意識は遠のいていった。
「…きて! いつまで寝てるの? 起きて!!」
何やら声がする。
目を開けると、子どもが僕を見下ろして話しかけているようだ。
「あ、やっと起きたね! もう、こんなに長く目を開けない人初めてだよ。まったく」
「……えっと、君は?」
「ぼく?そんなことはどうだっていいよ。でね、今から大切なことを君に言うから、よーく聞いてね!」
なんなんだこの子どもは。全く見覚えがない。というか、なんだこの真っ暗な空間は。
「君はさっき、死んだんだ」
「……はっ!!」
そうだ、さっき僕は車に轢かれたんだ。ということはここは天国か?でも待てよ、天国にしては暗すぎないか?
「でね、君に嬉しいニュースがあるんだ!」
嬉しいニュース?なんだろうか。
「3日だけ時間をあげる!! 死んだ3日前に戻って、やりたいこと全部やってきていいよ! その代わり、死んだ時刻になると同時に君は消えて、またここに戻ってくることになるからね」
……なんだって?
にわかには信じ難いが、3日間、猶予が与えられるのだろうか。
やり残したことはたくさんある。
…が、3日間しかないのか?
「じゃあ、悔いのないようにね!!」
「えっ、ちょっと!!」
言いたいことを言い終える前に、暗い空間は光に包まれていき、気づいた時には視界に僕の部屋が映っていた。
「……夢か?」
僕はベッドで天井を見上げていた。
よくわからないこの状況に戸惑いながら、スマホの画面を見る。
4月1日 0時00分。
確かに車に轢かれた日の3日前だ。
しかし、と思った。
もしあの4月1日から3日までの記憶が夢だったら?ただの僕の空想だったら?
正直、2日後に死ぬこと自体信じられないし、そこから戻ってきたきたことも信じられない。
悪い夢だったのか……。
働きすぎて疲れていたのだろう。そう思うことにした。
かなりの眠気があったので、僕はすぐに眠りについた。
アラームが鳴る。
時刻は午前7時。いつも通り朝ご飯を食べて歯磨きをし、私服に着替える。
パソコンの画面を開き、メールをチェックし、Slackで返信。
そろそろ朝会の時間だ。Zoomを開いて参加する。
部長が参加人数を確認し、よし、と頷く。
「えー、皆さんそろったようなので、朝会を始めます。それでは、犬飼君から」
夢と同じセリフだ。
「はい、昨日クライアントから要望のあった機能の開発を進めます。本日中に実装できる予定なので、確認をお願いします」
「了解了解。あ、そういえば明日のプレゼンの準備は進んでるかな?この案件はかなりの大物だからな。ミスは許されないぞ」
一言一句同じだ。
「はい、先日指摘された箇所を修正し、大体準備はできていまして、後ほどプレゼン資料を共有します」
「おう、頼むぞ。これを逃したら我が社もかなり痛手だからな」
鼓動が早くなる。夢で聞いたセリフと全く同じだ。あれは悪い夢ではなかったのか。
もし、2日後に本当に死ぬのだとしたら。
もし、2日後に僕はこの世界から消えるとしたら。
でも、もしそれが夢だったら?
考えれば考えるほど頭が痛くなる。
明日は大事なプレゼンで、仕事をすっぽかすわけにはいかない。
でも待てよ?もしあれが現実だったら、明日のプレゼンは無意味だ。
部長にSlackで連絡してみる。
「すみません、明日のプレゼンに参加する会社に、株式会社Futureはいますか?」
「ああ、いるよ。お前に話したっけ」
やっぱり。あの悪夢がほぼ確信に変わった。
残された時間は本当に3日しかないのかもしれない。
そうとなると、こうしちゃいられない。
残りの時間で僕に何ができるのだろうか。何をしなければならないのだろうか。
こんなに早く死が訪れると思わなかった。死ぬまでにやりたいことなんて何一つ考えちゃいない。
時刻はお昼の12時を回った。あと2日半しかない。
部長に電話する。
「すみません、少し体調が悪く、今日はもう休もうかと思います」
「おいおい、明日のプレゼンどうするんだ?まだ資料も中途半端だろう」
「いや、明日のプレゼンはもう出来レースで、どんなに頑張っても株式会社Futureが勝つんです!!」
「何を言っているんだ?お前。なぜそんなことがわかる?」
「それは……」
言葉が詰まる。未来から戻って来たんです、なんてことはどう考えても通用しない。でも、明日のプレゼンも何とかして休まなければならない。
僕にとって「仕事」は3日という天秤に対してあまりにも軽すぎる。
「実は、もう会社を辞めようと思っていまして、明日のプレゼンも休みます」
「はぁ!? 何を言っているんだ君は!!」
「すみません、僕には仕事よりも大切なものがあります!! 失礼します!!」
プツッ。通話停止のボタンを押した。
もしあの悪夢が現実ではなかったら。そう考えると恐ろしいことをしてしまったと思うが、2日後に消えると思うとなりふり構ってはいられない。
友紀に電話しないと……。
そう思い、LINEを開いて通話ボタンを押す。
「……出ないっ!!!」
友紀は営業職で日中は忙しく、電話に出られないのだろう。
しかし待てよ、と僕は思った。
2日後に僕は消えると急に伝えたら、友紀は信じてくれるのだろうか。どうしたの、と気持ち悪がられる気もする。
でも、伝えなければならない。電話だと伝わらないかもしれないし、できれば直接会って話したい。
その時ふと、再来週は付き合って5年の記念日であることを思い出した。
「そうだ……。今日プロポーズをしよう」
再来週するはずだった、サプライズのプロポーズ。もうその日は訪れないのであれば、今日やるしかない。
よし、と思い早速出かける準備を始めたが、またもや悪い妄想が膨らむ。
「プロポーズしたとして、僕が消えたら悲しむのではないだろうか……」
もしかすると、友紀にはここで別れを告げて、一人消える方が良いのかもしれない。そうすれば、友紀も悲しまずに済む。
でも、僕は友紀のことが大好きだ。一生一緒に過ごしたいと思っていた。
こんなに平凡な僕でも、冴えないサラリーマンでも、何気ない日々を楽しいと言ってくれた。
最後に別れてさよならは耐えられない。
2日後に起こることをきちんと話して、理解してもらった上で友紀にプロポーズをしよう。
LINEを開き、文字を打つ。
「今日の夜、久々にレストランでも行こうか」
午後7時。
高級フレンチレストランを予約して、婚約指輪を買いに行き、電車に揺られているともうこんな時間になっていた。
今までの僕は馬鹿だったな、と今になって感じる。仕事の時は早く時間が過ぎないかなとか思うことがあったが、あと3日しかないと思うと、1秒1秒を大切にしなければ、と思う。
今までもこんな風に思って生きていたら、違う人生になっていただろうな。そう感じる。
そして、レストランに到着すると既に友紀が待っていた。
「友紀ー! もう来てたんだね、早い!」
「だって急にレストランに行こうなんて言うんだもん。驚いちゃって、早く仕事終わらせて来たの」
「そうか、ごめんごめん。じゃあ、中に入ろうか」
そう言って、不意に友紀の手を取ってレストランに入る。友紀が少しびっくりしたような、嬉しいような表情を見せる。
席に座り、飲み物は何にするか聞かれる。
あと数回しか飲めないのかと思うと、何にするか迷う。
「このお店で一番高いワインはどれですか?」
「えっ! 悟やめときなよ!」
「いいから、今日だけ」
店員さんはメニューを開いて、こちらです、と指を差す。
じゃあそれで、と僕は返し、友紀は驚いた表情を見せる。
「どうしたの?なんか今日変だよ?」
「ははっ、変かな?まあ、ちょっと変かもね」
笑ってごまかす。
そして、今まで聞いたことのないような名前のフレンチ料理が目の前に並ぶ。
「んーっ、美味しい!!」
二人で目を輝かせながら食べる。
「これって何で味付けしてるのかな?」「ワインがすっごく合うね!」「大人ぶっちゃってー!」
そんな何でもない会話が愛おしく感じる。
でも、そろそろ友紀にはちゃんと伝えなければならない。
デザートを食べ終わり、スプーンを置く。
「あのさ、ちょっといい?」
「ん?どうしたの?」
「いや、信じてもらえないだろうけど、大切な話があるんだ」
「なに?急にどうしたの?」
一呼吸おく。
「実は、2日後……」
言葉が詰まる。
「なに?どうしたの?」
友紀が真剣な眼差しで僕を見つめる。
僕は声を震わせながら話した。
「実は2日後、僕は死ぬんだ」
「……えっ?」
そうなるだろう。僕も信じられないくらいだ。
「4月3日が終わると同時に、僕は消える。今は、神様が与えてくれたやり直しの時間なんだ」
「……」
友紀は黙っている。
「4月3日に僕は車に轢かれて死んだ。それで目を開けると暗い空間にいて、見知らぬ子どもに3日間だけ時間をあげるから、やりたいこと全部やってきていいよって言われて、今日に戻されたんだ」
「……本当、なの?」
「うん、信じてもらえないかもしれないけど、本当なんだ。だから、僕は2日後に消える。友紀には絶対に伝えなきゃいけないと思って、今日会うことにしたんだ」
少し涙混じりに話す。
「……ちょっと待ってね」
友紀は考え込む。僕はただ待つしかなかった。
突然2日後に恋人がいなくなると告げられた気持ちを、僕は想像することができなかった。
「……そうだな。信じられないし、信じたくないけど、悟は嘘をつかないって思ってる。だから……」
友紀が息を詰まらせる。
「……だから、私にできることは、悟と今を目一杯楽しむことかな。本当に2日後に悟がいなくなるとしても、それが悲しくならないくらいに、今を楽しみたい。私は悟と最後まで笑って過ごしたい」
僕は涙が溢れた。
これから先、ずっと一緒に暮らしていくはずだった。
こんなところで終わるはずがなかった。
明るくて、楽しい未来が僕たちを待っているはずだった。
友紀は歯を食いしばっていた。涙を堪えていた。
「……ごめんな、友紀。ごめんな」
ごめん。それしか言えなかった。
「ごめんなんて言わないで!! 私は悟と出会えてずっと幸せだよ」
なんで僕は死ぬのだろう。なんで人は死ななければならないのだろう。
こんなに大好きな人を残して、なぜ消えなければならないのだろう。
考えれば考えるほど、涙が溢れて止まらなかった。
「……友紀、本当に、ありがとう。大好きだよ」
そして、カバンの中から白い箱を取り出す。
「渡すと寂しくなるだろうから迷ったんだけど、でも僕は友紀と出会えて本当に幸せだった。だから、そのありがとうを込めて、これを渡します」
箱を開く。
「僕と、結婚してください」
「……はい! よろしくお願いします!」
僕はぐしゃぐしゃな顔で友紀に駆け寄り、抱きしめた。
本当に僕は幸せな人間だ。幸せな人間だったんだ。
周りから拍手が聞こえる。店員さんやお客さんが祝福してくれている。
箱から指輪を取り出し、友紀の指にはめる。
このダイヤモンドは、これから先も輝くんだろうな。
レストランを出て、手を繋ぐ。
時刻は午後10時を回っていた。
「友紀、明日行きたいところがあるんだけど、いいかな?」
「もちろんよ。どこに行くの?」
「僕の実家に行ってもいいかな?」
最後に親孝行をしたい。明日は実家に帰ると決めていた。
「うん、もちろんいいよ! 緊張するなぁ」
僕も緊張している。親に恋人を紹介するなんて初めてだ。
友紀の家に向かい、一晩泊めさせてもらう。
明日は朝から買い物に行って、親に何かプレゼントを買う予定だ。
友紀と4年間の思い出を振り返りながら、日が登るころまで笑い合い、眠りに落ちた。
目が覚めた。時計を見ると、午前10時だ。
少し寝過ぎたが、もう落ち込んだりはしない。人生の最後に落ち込んでいても仕方がない。
友紀を起こし、身支度を整えて買い物に出かける。
何を買うか悩んだが、父さんには時計、母さんには花束を買った。
電車に乗り、実家へ向かう。片道4時間の長旅だ。
最寄りの駅に着き、近くのケーキ屋さんで父さんの誕生日用のホールケーキを買う。
学生の頃、家族の誕生日はいつもこのケーキ屋さんに来ていた。懐かしいなぁ。
ケーキを受け取る時、今日で来るのも最後か、と思い店員さんに伝える。
「本当に美味しいケーキをいつもありがとうございました。小さい頃から、ここのケーキを食べるのが楽しみでした。これからも変わらず、美味しいケーキを作り続けてください!」
珍しい客だと思われたのだろう。店員さんは一瞬びっくりしていたが、笑顔で話し始めた。
「いえいえ、いつも買いに来ていただいてありがとうございます。お客さんのその一言で私たちは頑張れます!! 是非、またいらしてください」
「……はい、また来ます!」
少し寂しくもあったが、本当に嬉しそうな店員さんの笑顔に、伝えてよかったな、と感じた。
ケーキ屋から10分ほど歩いたところに実家はある。もう時刻は17時だ。
今日帰ることは母さんには伝えていた。だが、友紀がいることは内緒にしている。
玄関のチャイムを鳴らし、母さんが出てくる。
「おかえりなさい……。あら~、こんばんは。悟の彼女さん?」
「はい、佐藤友紀と申します。突然すみません」
「母さん、急にごめん。どうしても今日連れて来たくて」
「いいのよ、うちは大歓迎よ! さあ、上がって上がって!」
1年ぶりの実家は温かかった。特別なことがあるわけではない。でも、心がほっこりとする。
「父さんは?まだ仕事?」
「そうなの、今日も遅くなるみたいよー」
「そっか。まあ気長に待とうか」
明日、僕は死ぬ。でも、不思議と焦る気持ちは無くなっていた。
一生懸命に今を感じる。身近な人たちに感謝を伝える。
悔いなく死ぬにはこうしたことが大事なのではないか、と直感的に感じていた。
晩ご飯の準備を母さんと友紀がしている。生きている内にこの光景が見られたのは、とても幸せだな。
「ただいまー」
玄関から声が聞こえる。家に帰ってきた時の、いつもの声だ。
「おかえりー、今日はゲストが来てるわよー!」
母さんが楽しそうな声で、友紀を紹介する。
「悟の彼女の友紀ちゃん! かわいいでしょー?」
「はじめまして、佐藤友紀と申します」
「おー、悟の彼女か! お前ももうそんな歳になったか」
父さんは嬉しそうな、少し緊張しているような表情を浮かべる。
食卓につき、豪華な食事とビールで乾杯する。
友紀と付き合ってからのこと、僕の仕事のこと、友紀の仕事のこと。根掘り葉掘り聞かれる。
時折、学生の頃の食卓の風景が蘇り、胸が熱くなる。
豪勢な料理を平らげ、母さんが台所へ向かう。
電気が消えたかと思うと、軽快な歌が聞こえてくる。
「ハッピバースデートゥーユー!」
母さんが歌を歌ってケーキを持ってくる。友紀と僕もそれに合わせて合唱する。
「ハッピバースデーディアお父さんー! ハッピバースデートゥーユー!!」
4人分にしては大きすぎるほどのホールケーキにお父さんは驚きつつ、「ありがとう!」と一言。
そして、「フゥー!」っと一気にロウソクの火を消す。
「こんなに大きなケーキ、食べ切れないなぁ」
「いいじゃないの、悟が買って来てくれたんだから」
そう言って友紀と母さんがケーキを取り分ける。
「これ、駅前のケーキ屋さんよね? 懐かしいわぁー、毎年誕生日はここのケーキだったものねぇ」
「そうだなぁ。悟が出て行ってからはここのケーキ食べてなかったもんな」
そう言いながら、みんなでパクパクとケーキを食べる。
楽しい雰囲気で言いづらかったが、言わなければならない。
全員がケーキを食べ終わったところで、話し始める。
「ごめん、ちょっといいかな」
「あら、どうしたの?あらたまっちゃって」
全員の視線が僕に集まる。
「今から言うことは信じられないと思うけど、真実なんだ。だから、僕の言葉を、ちゃんと受け止めて欲しい」
「……」
さっきまで騒がしかった部屋が静まり返る。
「明日、4月3日が終わると同時に、僕は死ぬんだ」
友紀がうつむく。それと同時に、母さんが少し笑う。
「なーにを言ってるのよ! 明日のことなんてわからないじゃないの」
「そう言われると思ってた。でも、これは真実なんだ」
今まで起こったことを全部話した。車に轢かれて死んだこと。3日間の猶予を与えられてここにいること。明日が終わると同時に、僕は消えること。
にわかには信じられない様子だったが、僕が嘘をついている雰囲気ではないことを察したのだろう。母さんは何も話さなくなった。
沈黙が続いた後、父さんが口を開く。
「……お前の人生は、どうだったか?楽しかったか?」
人生は楽しかったか、か。
「今となっては、あーしとけばよかったなぁとかたくさん思うことがあるよ。正直、毎日同じことの繰り返しで、楽しいことは少なかったかもしれない」
やりたくない仕事をして、少ない給料をもらって、カップ麺で空腹を満たして、空いた時間でゲームをして。
与えられた人生を存分に楽しんでいたかと言われればそうではなかった。
「……でも、僕は最後にこうして大好きな人たちに囲まれて過ごすことができて、本当に幸せ者だなって思う。こうして僕を好きでいてくれる人がいる。一緒に笑ってくれる人がいる。それだけでも幸せなんだなって今になって気づいたよ」
母さんは泣き崩れている。つられて、これまで我慢していた友紀も泣いている。
父さんが涙を目に浮かべながら言う。
「俺は、お前を息子に持てて、幸せだったぞ」
僕も我慢ができず泣き崩れる。
僕は声にならない声で「ありがとう、ありがとう」と呟いた。
ひとしきり泣いた後、プレゼントのことを思い出す。
「今日は、父さんの誕生日だから、プレゼントを買って来たよ。母さんの分もある」
バッグの中から時計と、花束を取り出す。
「おお、時計か。ありがとう、大事にするよ」
「わあ、ありがとう! お花をもらうのなんて久々だわ! 玄関に飾ろうかしら」
喜んでくれたようだ。実は、親にプレゼントを買うのは初めてであり、緊張していた。
母さんが玄関にお花を飾り、戻って来て僕に尋ねる。
「悟は明日は何をする予定なの?最後の日でしょ?」
「うん。色々考えたんだけど、ここで最後を過ごそうかなって」
ここで最後を迎える。そう決めていた。
「いつもと変わらない風景で、最後を迎えたいんだ」
「わかった。じゃあ明日はうんと愛情込めて料理を作りましょうかね!!」
そこからは、みんなで懐かしいビデオを見たり、卒業アルバムを見たり、楽しい時間を過ごした。
気づけば日付は変わり、人生最後の日を迎えていた。
朝8時。窓を開けると気持ちの良い風が入る。今日も快晴だ。
4時間前まではみんなで大騒ぎをしていた。でも、少しは寝ておかないと、ということで少しだけ寝ることにしたのだ。
友紀はまだ眠っている。この寝顔を見るのも最後かと思うと、また胸が熱くなる。
肩を揺すって起こす。
「んー…。あ! おはよう!」
友紀が飛び起きる。
「ごめん、寝過ぎたかな!? 朝ごはん食べなきゃね!!」
1階に降りて台所に行くと、母さんが既に起きており、手の込んだ料理を作っていた。
「あら、おはよう。今日はスペシャルモーニングセットよ!」
「すみません、手伝いもせず……」
友紀が申し訳なさそうにしている。
「いいのよ! 友紀ちゃんは悟と一緒にテレビでも見て待ってて!」
リビングのソファーに向かうと、父さんももう起きている。
「おう、おはよう。よく寝れたか?」
「うん、ぐっすり寝たよ」
朝の情報番組を見ながら会話をしていると、朝ごはんが出来上がり、食卓へ向かう。
この3日間は、一瞬一瞬が眩しく見える。何気ない会話。食卓に並んだご飯。みんなの笑った顔。
生きてるだけで幸せ、という言葉を聞いたことがあったが、今までは実感できずにいた。でも、今ならわかる。
もしこの3日間がなかったら、どれだけ後悔していただろう。
明日が来る保証なんてどこにもないのに。気づいた時にはもう手遅れかもしれないのに。わかっていたつもりでも、結局何もしていなかった自分が情けない。
みんなで散歩をして、ショッピングをして、レストランでご飯を食べて。そんなことをしていると、あっという間に夜になった。
何も変わり映えのない1日だった。でも、それでも人生で一番輝いていた1日だった。
毎日、今日みたいに過ごしていたら、どれだけ幸せだっただろう。
晩ご飯は、大好きなハンバーグとオムライスだった。
どれもとびっきり美味しく、涙は止まらなかった。
寂しい。まだ消えたくない。
そんな言葉が頭をよぎる。しかし、運命には逆らえない。
刻々と時間が過ぎる。楽しい会話はほとんどなく、僕はずっと、泣いていた。
本当はみんなと話したいのに。そう思えば思うほど、迫る時間に涙するしかなかった。
「最後に、一人ずつ思いを伝えないか」
父さんが言った。
「……そうね。泣いてばかりいても仕方がないものね。そうしましょう! じゃあ、私からね」
母さんが言う。僕はまだ涙が止まらない。
「私はね、悟と今日まで過ごせて、本当に幸せだった。ちっちゃい頃からよく食べる子で、料理も作りがいがあったわぁ。ハンバーグだって悟のお皿にだけいっつも3個ものせて……」
言葉を詰まらせる。
「……私はね、悟がいなくなっても、ずっと悟の傍にいるつもりだよ。もちろん本当に傍にはいられないけど、ずっと応援してる。ずっと大好きだもん。ずっと、ずっと……」
母さんがまた泣き崩れる。僕は母さんを抱きしめる。
「ありがとう、母さん。僕もずっと母さんの傍にいるよ」
ありきたりなセリフしか出てこない。でもこれが今、一番伝えたい言葉だった。
母さんが、力いっぱいに僕を抱きしめる。
少しして、母さんが僕を離し、両手で肩をポンポンっと叩く。顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。でも僕は、こんなに温かい顔を見たことがなかった。
「じゃあ、次は俺からだ」
父さんが話し始める。
「悟、本当に今まで良く頑張った。あの弱気な息子がこんなに立派に社会人になって、彼女さんもできて、俺は誇らしいよ。もらった時計、一生大事にするからな。肌身離さずつけておくよ。それから……」
少し間がある。
「俺は、悟が生まれてきてくれて、本当に幸せだった。楽しい日々を本当にありがとう」
また少し、会話が途切れた。涙が止まらないのだ。時刻はもう午後11時半を回っていた。
ずっとうつむいていた友紀が口を開く。
「私からも、最後に……言わせて。悟。私はこれから先、ずっと悟と一緒に生きてくんだなって思ってた。今は離れて暮らしてたけど、1年くらい経ったら同じ家に住んで、同じ時を歩んで行くんだろうなって思ってた。でも、甘かったなーって思う。もっと悟といる時間を大切にして、1秒1秒を大事にして過ごしてたらなって思う。電話一つでも、LINE一つでも、もっと心を込めてたら良かったなって思う。今となっては全部取り返しはつかないけど、でも私は悟と出会えて幸せだった。いつまでも大好きだよ…ずっと大好きだよ…」
僕は友紀を抱きしめる。
「ありがとう……ありがとう……」
嗚咽混じりの声しか出なかった。でも、伝えなければならなかった。
こんな僕と付き合ってくれてありがとう。楽しい日々をありがとう。結婚を約束してくれてありがとう。
どんなに感謝しても足りなかった。
もうすぐだ。もうすぐ僕は消えてしまう。最後にちゃんと伝えなきゃ。
どんな言葉もこの思いには足らない。でも、これが最後なんだ。
一人一人の顔を見る。そして、話し始める。
「……僕は、生まれてきて幸せでした。こんなに大切で、大好きな人たちと今まで一緒に過ごせて、本当に幸せでした。僕も、いつまでも忘れない。この幸せな毎日を、絶対に、忘れない。父さん。母さん。友紀。今まで本当にありが……」
時計は12時を指していた。
エピローグ
やあ、3日間どうだったかい?
随分目が腫れてるね、大丈夫?
まあ、大体の人がそんな感じだけどね。
なんで人って、あと3日しかないって思うと急に後悔するのかなぁ。いつだって3日間しかないかもしれないのに。
その3日間も途中で終わるかもしれないのに。
でも、こんなこと言っても絶対に伝わらないんだよなぁ。
未来は見えないから。人は見えないものに対して期待をするから。希望を抱くから。
でも、見えないからこそ、精一杯に今を生きないといけないんじゃないかな?
僕はみんなに後悔して欲しくないなぁ。
おっと、そろそろ行かなきゃね。立てるかな?
どこに行くかって?
ふふーん、そうだな。
「未来」、かな。
あとがき
中学1年生のとき、父方のおじいちゃんが死にました。学校でお昼ご飯を食べていると先生が近づいてきて、「おじいちゃんが亡くなりました」って言いました。今でもあの光景は鮮明に思い出せます。
その時、なんで僕は何もしてあげられなかったんだろうって思いました。おじいちゃんの机に入ってる小銭を漁ったり、家中走り回ったり、怒られるようなことしかしていませんでした。何一つ、喜んでくれるようなことをしたことがありませんでした。
でも、おじいちゃんが死んで、人って死ぬんだ、ということに気づきました。言葉では知っていても、身を持って感じたのは初めてでした。
それから、僕の中で「どう後悔なく生きるか」が生きる上でのテーマになりました。誰も悪い気持ちにならないよう、楽しんでもらえるようにするにはどうすれば良いか、考えながら生きるようになりました。
でも、それは難しいです。何が大切なことで、何がいらないことなのか。見分けるのは本当に難しいです。
そして先日、母方のおじいちゃんが死にました。僕は何ができていただろうか。おじいちゃんは笑顔で亡くなったのだろうか。今となっては知ることはできません。
でも、僕は精一杯おじいちゃんとの会話を楽しみました。一緒にたくさん笑いました。全てが正解だったのかはわかりません。でも、僕は今、前を向いています。
いつその人はいなくなるかわかりません。この意味をわかっているでしょうか。
今を精一杯生きる。それがこの言葉の意味ではないでしょうか。
僕は、今を大切に生きていきます。
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初めて小説を書きました。
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