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「もう二度と行くことができない場所」によせて

夢を見た。

大学時代に住んでいた兵庫の田舎の学生アパートに行く夢。

卒業以来6,7年ぶりに訪れた月4万8000円、木造2階建てのワンルームは、まるで時が止まったようにあの頃のままだった。

玄関には一人暮らしとは思えないほどの量のスニーカーがあって、そのすべてに土がついている。ニューバランスがやたらと多い。

コンロはひと口。シンクには蕎麦を食べた後と思われる食器とザルが。

洗面台には使い切った紫色のギャツビーのワックスがだらしなく置いてある。

ベッドは実家から持ってきた黒色のシングルベッド。卒業してから1年後くらいに買い換えるやつだ。

年中だらしなく出しっぱなしのコタツには赤い座椅子が設置してあって、水色の長座布団もそのまま。

眠るときに音楽を流していたHDDコンポの液晶は、ぼんやりとした緑色の光を放ち、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」が再生されていた。

意外と奥行きがある物置にはWiiとPS2が入ったボックスがあって、その上には友達が泊まりに来たときに寝る用の寝袋が。

ベランダに出ると、虫の声がして、夏になると友達と近所の川にホタルを見に行ったことを思い出した。

月は霞がかかっていたが、空はとても明るかった。こんな感じでベランダで時々KENTのメンソールを吸っていたっけ、と恥ずかしくなった。

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ここで目が覚めた。

外からは鳥の声がして、空がぼんやりと明るくなっていた。

部屋を見渡して、スヤスヤ眠る妻と、枕元に置かれた、お義父さんに借りたブッダ4巻を見て、ここが東京なのだとわかった。

そして、なんだか居ても立っても居られず、この夢日記を殴り書いている。

あの103号室に遊びにきてくれた人たちは、元気でやっているのだろうか。

なぜか一緒にワールドカップを見た先輩は最近結婚したとFacebookにアップしていた。何度も東京から足を運んでくれた彼は、今は地元にいる。

寝袋を家に置いていた彼は、今では立派な経営者だ。入学したての頃、授業をサボって一緒に釣りに行った彼は、わからない。

隣の部屋に住んでいた彼女は教員になったのだろうか。なんとなく思い出したあいつは、あの子は、どんな毎日を過ごしてるんだろう。

あの頃、週5日出会っていた友達も、今では年に1回会えばいい方。

もちろん、その分、出会ったときの時間は濃くなるのかもしれないけど、確実に頻度が減ってしまった。

あの部屋に住んでいた自分からすると、今の自分は、全然知らない場所で、全然知らない人たちと毎日を過ごしている。

SNSが浸透しても、当時のスカイプよりもずっと綺麗な映像でビデオ通話ができるようになっても、インターネットでは届かない距離の人たちがたくさんいる。

やたら鮮明な夢を見て、当時の部屋の写真を見返そうとカメラロールに潜ってみたけど、卒業旅行でモロッコに行った時にスマホをすられたこともあってか、思ったより画像が出てこなかった。

そもそも、部屋みたいな、身近な場所の写真ほど撮る機会は少ないものなのだろうな。今住んでいる部屋の写真も、なんとなく、残しておかなければならないと思った。

あのアパートには、「ソラニン」よろしく、今は知らない誰かが住んでいて、その部屋に住んでいる人にとっても僕は全然知る由もない存在で。

その場所に行くことはできても、その時のその場所は、「もう二度と行くことができない場所」で。

そういう「戻らないもの」について考えると、どうしようもない気持ちにもなるけど、だらしない自分にも繋がってくれた人たちがいたのだと考えると、少しだけ勇気が出たりもする。

年を重ねるごとに、やりたいこと、やるべきこと、それに伴う責任で前に進むことばかりを考えてきたけども、たまにはこうやって振り返るのも悪くはないのだと思った。過去との付き合い方もなんだか上手くなった気がする。

あの頃、なんとなく出会ったみなさん、どうか元気でやっていてください。時々思い出したら、連絡します。連絡がとれない人も、どうか元気でいてください。たまには声を聞かせてください。

今、なんとなく繋がってくれている人のことも、いつか懐かしくなるのだろうか。その頃には、世の中は、人と人との心の距離は、今よりも近くなっているのだろうか。

いずれにせよ、全員元気でいてください。元気が一番だよ。

そんなことを思いながら、2020年5月17日の夢日記を終わらせたいと思います。

二度寝します。おやすみなさい。

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