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双極症と付き合うための自己管理方法【発症から5年】

※最初に断りを入れておきますが、双極症の治療は主治医と二人三脚で行っていくことが第一です!双極症は、主治医との対話や治療、服薬をしっかりとすることが大切です。

私は医者ではないし、ただの一経験者です。
とある双極症患者の、経験の一つだと思って読んでください。

自分のための備忘録も兼ねて公開していますので、その点にご留意ください。

双極性障害についてはこちらのURLから詳しく確認してください。




今はきっと、寛解に近い状態です


双極症(双極性障害)と付き合い始めて早5年。

自分の行動を何度も後悔したし、「どうやったら病気に振り回されずに済むんや…」と、途方も無い気持ちになったことが何度もあった。

けれど双極症は、自己管理と薬でコントロールできるものだと思っている。高血圧の人が血圧を抑える薬を飲んだりすることと同じ。

精神疾患だからといって、特別視する方に違和感を感じる。
精神疾患は、どうしても特別視されがち。


だが、そう思っている私でも最初は特別視していたし、双極症の診断が信じられなかった。

「自分は双極症だ」とはっきり病識を持ったのは、診断から4年経ったあたりから。本当に遅かった。それまでは自分が双極症であることを信じられなかったので、治療を受け入れられず、服薬などの自己管理を毎日していないことも多かった。

だけど、今はどんな自己管理をすればいいのかが分かってきたし、主治医も信頼している。


そう思えば、健常者並みか、あるいはそれ以上に自分のことをよく知ろうと努力をしてきたので、自己管理に関して並々ならぬ思いがある。


私は、自分の持病と付き合っていくために、無理をすることにめちゃくちゃ抵抗がある人間だし、自分や周囲の人のためにもできるだけ安定した、波瀾万丈すぎない人生を歩むことを望んでいる。

それでも、なんとかお金を稼いで食べていかないといけないので、最低限仕事や貯金はしないとな、と思いつつ毎日手探り中。

仕事やお金に関して、双極症とどう向き合うのか、という話題はまた別記事にて。今回は自己管理にフォーカスします。


双極症と付き合うために、経験からまとめた自己管理


・薬は必ず毎日飲む。薬は一生の付き合い。薬を飲んでいるのにしんどすぎたら病院に行く。


毎日8時間は必ず寝る。睡眠不足は必ずといっていいほど病状が悪化する。絶対に守ること。
あと寝過ぎも良くない。どうしても起きられない場合は鬱転している可能性が高いので、病院に行く。

ただ私の場合、眠すぎた時期に寝具と寝室の温度を改善したら劇的に睡眠が改善した。詳しくはこの動画を参考にしてほしい。鬱転しているせいではないこともある。
https://youtu.be/fOsaVft0Mtw?si=6y_jCbzAs8nMnGJQ



・人からの刺激がなさすぎたら鬱転する。人からの刺激がありすぎても躁転する。
どちらかに転じたら、次の日に調整するなど必ず対策を講じる。刺激がなければ人と出かける、刺激が多ければ引きこもる、など。

ピクミンブルームという位置情報ゲームアプリで毎日歩数と気持ちの浮き沈みの記録をするとわかりやすい。個人的には無理なく続いている。歩数は活動的だったかどうかを判断できる数値的な記録にもなる。


パンと甘いコーヒーが無性に欲しくなったら私にとっては鬱転している証拠。意図的に人と話したり、ある程度の刺激を受けつつ、仕事は最低限にする。


周囲の人とトラブルになってしまった時も要注意。既に躁転している恐れがあるし、鬱転の予兆かもしれないので、なるべく落ち着いて過ごす。自分や他人を責めすぎないようにすることを優先する。


すぐに行動に移さない。思い立ってからすぐ買い物などしようとすること自体、躁転している可能性があるのでまずいいことがない。誰かに相談するか、論理的に考えたことを文章にまとめ、内省してから行動する。
衝動性があるのは双極症の大きな特徴。人へのプレゼントが好きだからといって、周囲に対して大盤振る舞いにならないようにも注意する。欲しいものは1日寝かせる。


予定は入れすぎないこと。私はこれで何度も失敗した。予定を埋めたくなる時は躁状態になっている可能性が高い。その後全部処理しきれなくなって、キャンセルしたり休んだりせざるを得なくなるので、その後出てくる自責の念が非常にしんどい。
どれだけ寛解している自信があったとしても、予定は入れすぎないこと。寛解してるぜ!っていう根拠のない自信が一番危ない。


※全て、実際にやってしまった失敗から学んだことです。



どんなきっかけで発症したのか。発症からの5年間をどう過ごしたか。


双極症を発症したのは大学3回生の後期。22歳だった。
うつ病と診断された22歳の頃(2年後に診断が変わった)から数えると、かれこれもう5年もの時が経った。

大学の途中までは、そこそこ頑張っていた学生だったと思う。
いろんなコンペに応募したり、自主制作も積極的にしていたし、サークル活動にも励んでいた。それなりに成果を出していたと思う。
ただ、成果を出そうと必死になりすぎて周囲からはおそらく、ひんしゅくを買ってしまっていた。そんな躁状態になった後、深い鬱期に突入して、親に心療内科を勧められた。

授業に出られないことが多かったので、教授に単位を貰えないか交渉しつつ、地を這うような成績でなんとか大学を卒業した。後々、私が属していたゼミの担当だった教授からは「ギリギリだったのよ」と言われた。

心身の問題で就活ができず、新卒の正社員として就職する機会を逃した。コロナ禍だったこともあった。

その後は細々とバイトを続け、職を転々とした。バイトの面接の時に、新卒で就職しなかった理由を聞かれることもあった。言えるはずがない。答えられなかったし落ちた。

その後職場が合わず、深く鬱転した時は、精神障害者保健福祉手帳を申請し、就労支援事業所に通ったこともあった。

25歳の年で結婚した。結婚した後も、2年くらいは長いうつ期間に入っていて、職をまた転々としていた。躁転してお金を使いすぎることもしばしばだったし、起き上がれないのに炭水化物が欲しくなるので、急激に15キロ近く太った。
夫には多大な迷惑をかけたし、見た目も付き合った当初から変わってしまったと思う。

けれど、5年も経つとだんだん双極症との付き合い方がわかってきた。
双極症に悩んでいる人がいれば、「こんな人がいるんだ」という情報の一つにして欲しい。


双極症に振り回されない人生を、歩むことはできるはず!