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好みが渋くて良かった話と悲しい話

私は仏像が好きです。

皆さんはどうでしょう?仏像、あるいは日本美術。興味もないし、これまで関わったこともないという方が多いかと思います。でも一方、若いころからとてつもなく仏像・日本美術が好きな方もいるでしょう。全体的にみて後者の方がかなり少ないとは思いますが。

私が通う大学のキャンパスではキラキラしたものが好きな子が多く、仏像好きと一目見てわかる子はいません(そんな人普通にいないか)。まあ大学に限った話ではないんですが、特に大学生ほどの年齢だと一般的に見て華やかなものが流行りますね。


私からすれば仏像だって華やかですよ、だって美術品だもん。よく目を凝らし、あるいはデジタル画像に助けられ、細部までその装飾を観察すれば制作当時の華やかさが少しは垣間見られるというものです。しかしむしろ、仏像のその落ち着きが良いのではありませんか。見ているだけで心安らぐ表情、手の形。でもよく見ると実は華やか。これぞギャップ…笑


それから寺社のお堂の中という空間も良いですね。薄暗い静かな空間に佇むご本尊。金属製の仏像であれば光り輝きます。木製だとその温もりが伝わってきます。それぞれに良さがありますが、私は比較的木製が好きです。だって穏やかじゃないですか。金属製はもちろん美しいのだが、お腹が痛いときには見られない。なんだか刺激になってしまいます。でも木製ならいつでも大丈夫。目に優しいタイプです。


もう一つ、博物館という空間も私は大好きです。寺社のお堂とは違ってケースの中に像が入りますね。普段は暗い中にいる像が、文字通り明るみに出ることで見え方が変わる気がします。寺社では遠くから眺める像も、展示されれば近くで見られます。仏像にとって寺社がホームなら展示室はアウェイなので、普段の威厳を100%は発揮しきれないかもしれませんが、展示されることで新たなファンゲットの可能性は高まります。博物館の魅力は展示室だけではありません。入口からチケットカウンター、廊下やお手洗いまで清潔で品があることも魅力です。これはかなり重要だと思います。来館した人が心地よい状態で過ごすこと、作品鑑賞の妨げになるような要素がないことというのは素晴らしいです。純粋に思考に没頭できる空間とは稀有なもの。だってカフェで勉強していても周りの会話を聞いてしまったり、長時間居座ることがはばかられたり。図書館は博物館に近い環境ですね。逆に静かすぎて物音が目立ってしまうことに気を使ったりもしますが。これって考えすぎでしょうか?


少々脱線しましたが、ここまで述べてきたような仏像・お寺・博物館愛というのは大学キャンパスではあまり話す機会がありません。それを専門にされている先生と授業終わりに少し話すときくらいでしょうか。それでも1週間に10分ほどです。渋物好きとは悲しいかな。


しかし良い点もあります。例えばそういうご専門の先生も、仏像に興味を示す学生が少ないために、少し私が反応するととても嬉しそうにしてくれること。それは私も嬉しい。ここで私と先生の間に「学問的両想い」が発生するのです。
伝わりますでしょうか、「学問的両想い」。私は今回で2度目の経験なのですが、つまり私と先生の関心分野が重なることによりその分野に関する対話が深まること。次第に私たちの仲も深まります。言うなれば「共通の趣味を持った友達」くらいの感覚ですね。「仏像良いよね~」「え、分かる!特に○○寺の○○観音とか最高じゃない?」みたいな。もちろん先生と学生ですからこんなにラフな感じではありませんが、テンションはこんなものです。

渋物好きであるがゆえに日本美術愛を一緒に語る友が少ないことは悲しいですが、逆に友が見つかればその時点でかなり仲良くなれそう。そんな期待を抱き、私はこれからも仏像愛を深めます。
仏像友達、探します。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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