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未来の博物館空想

博物館には、過去の遺物が展示されますね。著名な博物館であればあるほど、歴史的に重要なものが並ぶ。そこで私たちは恐竜の様子や人類の進化、昔の日本の様相などについて学ぶのです。

では未来の博物館はどうでしょう?千年後には、
「昭和、平成、令和を再現!よみがえる千年前の日本」なんてタイトルで展示が行われるかもしれませんね。

そこでは、昭和〜令和にかけて時代を象徴する重要なものたちがショーケースの中でライトを浴びる。一体何が置かれるでしょうか?
・パソコン
・スマートフォン
・テレビ
電子機器類が容易に想像できます。でも、千年後の人々にはそれが何だか伝わらないかも。その時には学芸員さんの解説がつきます。昭和〜令和史を研究する学芸員さんの。

『片手サイズの板状のもの。主に連絡手段やSNS(当時使われた相互発信型メディア)利用等の目的で使われた。全国各地から出土し、その形式も様々。ここでは最も古いものから順に、その変遷を追って紹介する…』これはスマホの説明。

千年後の人々は、どんな感想を持つのでしょうか。
「今の〇〇みたいだね!もっと簡易的だけど」
「全国から出土したってことは、かなり普及してたんだね。海外でも出土してるらしいよ。」
「なんかリンゴみたいな柄が入ってるけど、流行ってたのかな?」

この展示会にはどのくらいのお客さんが来るのでしょうか。「スマホ」が今でいう「はにわ」ほどの影響力を持つのか…でもはにわほどキャッチ―な見た目でもないし、今は依存する人もいるほどのスマホですが千年後には「何それ」状態の人が大多数かもしれません。

そもそもこの話は未来にも「博物館」は存在し、かつ未来の社会は現在よりも進んでいるという考えありきです。だが例えば中世ヨーロッパの「暗黒」時代のように、未来が今よりも文明の遅れた時代である可能性もあります。

「博物館」なんてものは存在しないかもしれないし、スマホのかけらだって子供が土から掘りだして「何これ~?」と遊ぶに過ぎないかもしれない。そう考えると、私たちの日常生活の中で大切にされている価値観は、現代にしか通用しないものもたくさんあることが分かります。別にスマホを失ったからといって今すぐ心臓が止まるわけではないし、博物館がなくとも命に別状はありません。

いや博物館はぜひとも存続してほしいですよ、もちろん。大好きですから。博物館に行かない人生は私には考えられませんが、そもそも博物館なるものが登場する前の時代に生まれていれば、それは十分に考えられた。というかむしろ博物館のある人生などは想像もつかなかったわけです。

こう考えると「博物館」というテーマから未来や過去、つまり歴史について考えることは、やはり現代の価値観を相対化してくれるので楽しいですね。現代が「絶対」ではないと思うと、気が楽になります。
ということは逆に、これからの博物館もすべてが今まで通りである必要はないわけだ。良き伝統は継承しつつ、変えるところは変えていく。
これ、博物館に限った話ではありませんね。社会全体に関係する大きな話から日常の中の小さな一コマまで活用できると思います。

あれ?私はただ未来の博物館を空想していただけなのに、いつのまにかこんなに抽象的な話をしている…天才かよ。

ということで今回は自画自賛で終わりにしましょう。最後まで読んでいただきありがとうございました。


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