言語が先か、表現が先か
「言語とはその人の考えを形作るもの。」
と何かで読んだ気がする。
その国の言葉、熟語、文法などあり方使われ方がその人の考えに影響をもたらすというものだ。だからこそ国民性が出たりするのだという事も聞いた事がある。中には英語を話すようになって考え方が変わったなんて事もあるという。論理的に物事を考えるようになったなんて具合だ。
もちろん私は日本語しか喋る事が出来ないのだが、英語を一勉強し短期間ではあるが留学行った経験からしてみれば分からなくもない気もする。
でもそれが100%正しいとは到底思えない。
くだらない話しだが、〇〇の国は性に奔放な国だとか聞いたりもする。では、その国の言語はどうなのだ?と思う訳である。性に奔放な言語とはなんだ??そんな訳で分からなくもないが、私の思いとしては結局のところ分からない。笑
言語そのものに考えが宿るのではなく、自分の思いをどれだけ言語化出来るかがその人の考えに影響をもたらすのだと私は思う。
「言霊」という、言っている事が現実になるという言葉があるが、これも元々言語化出来る事が現実となる。言語化出来るからその人の性格、考えが出来上がるのだと言う事なのだと思う。
何を話すか、何を表現できるのかが大切なのだ。表現できないのであれば出来るようになればいい。話すと言う事は瞬発性が必要となる。もしそういう風に俊敏に言葉のやりとりが出来ないのであれば、その練習として文章を書けばいい。その文を書く練習、書く習慣こそがその人の人間としての成熟度を上げてくれるし、人として豊かにしてくれるのだ。
文章を書くとは頭の中を整理しないと、綺麗に書けないし、何か表現するにしても何を表現するのか考えなければならない。文章を書くことはとても知的な作業なのだ。最初は全然出来なくてもいい。
まずは書く習慣からだ。
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