
「投票へ行こう!」では投票率が上がらない?
投票率が低いことは悪いこと?
選挙へ行こう!の呼びかけが大きければ大きいほど、
「なぜ投票しないといけないのか?」という疑問にぶち当たる。
ちなみに私は投票する。
そして、投票率が上がってほしいと願っている。
しかしながら、ただ投票率だけを上げることには少し疑問が残る。
過去の呪縛
まずこれまでの衆議院議員総選挙における投票率を見てみる。
このグラフ内では、
1967(昭和42)年に73.99%(54年前)
1976(昭和51)年に73.45%(45年前)
1979(昭和54)年に74.57%(42年前)
1990(平成2)年に73.31%(31年前)が高水準。
(総務省のウェブサイトより)
このグラフが出てくると話題にされることが2つある。
1つ目 投票率は頭打ちがある
昭和44年の20代投票率は、59.61%。
昭和44年は52年前なので、この頃の20代はH29年で言えば、
70代以上に分布する。
H29年の70代以上投票率は、60.93%。
そんなに変わってない。
行く人は行くし、行かない人は以前行かない。
(亡くなる人や足が悪くて行けなくなる人がいることを考えると、投票率は上がってるとも言える)
→どんな世の中になっても、100%になることはない。
いや、おそらくどんなことでも75%くらいがマックスではないか(これまでの数字を見ても)ということが言える。
2つ目 年齢が上がれば、投票率は上がる
H8年の20代投票率は、36.42%。
H8年は25年前。
H29年の40代投票率は、53.52%。
決して高くないが、投票率は上がっている。
→現在の若者は投票に行かないのではなく、
現在40代くらいの人が若者だった頃から投票に行っていない。
現在40代くらいといえば、バブルを知らない、就職氷河期世代。
何か関係しているのかもしれない。
過去の投票率から導き出されてること
1 みんな頑張れば、75%くらいの投票率になるよ!
2 年齢が上がり、政治に関心を持つようになれば投票するようになる。
だから、政治にもっと関心をもってらもおう!
本当だろうか?
1 75%という数字は過去の数字から最大値だとしている。
3/4くらいの人が投票したのであれば、みんなの意見と言える?
(1/4くらいの人は意見を言わない人として、無視せざるを得ない?)
みんなの意見で決めたい
この数字設定が間違っている可能性はないだろうか。
現在の投票率50%くらいが適正だと考えることはできないか。
「半分ってのは少ないよ!」と言う人もいるだろう。
無視している人の数が増えると不安になる。
みんなの意見ではないような気がする。
みんなの意見で政治を動かすべきだ!の意識があることがわかる。
投票に行かない人の気持ち
一方で、投票しない人にもいろんな理由がある。
・面倒だ(優先順位が低い)。
・誰に入れていいかわからない(入れたい人がいない)。
・よく分かっていない自分が投票していいのか不安だ。
・入れても政治は変わらない。
これらの理由を、そんなことないよ!と言っても響かない。
投票しないなら文句を言うな!
「投票しないなら、文句を言うな!」という人がいる。
投票しない人は言い返さないが、心の中で言っているはず。
「あなたたちで決めてくれればいいよ。
私はどう決まったのかさえ興味がないのだから」
文句を言う?何に?誰に?どうやって?そんなことは知らないし、
言うつもりもない(結果的に言っていることはあるが)。
現在の日本では、50%の人が決める時代(仮説)
もう決めてくれていいですよ!私、わからないので。
その代わり、良いように決めてくださいね!
おそらくはあなたが思っていることと私は同じです。
戦争はしたくないし、差別や自殺はないほうがいい。
お金持ちにならなくてもいいけど、食べることに困りたくない。
ね?同じでしょ。だからお任せします!
有名人・芸能人が「選挙へ行こう!」
選挙管理委員会や政府などの広告ではなく、
有名人・著名人が「選挙へ行こう!」と動画で訴える。
政治に関心がなくても、
とりあえず投票しよう!と言っているようにも聞こえる。
まずはやってみないとわからない。
1回行ってみれば、次はもっと関心を持つようになる。
本当だろうか?
松本人志は、「ある程度勉強してから投票して」
一方で、軽い気持ちで投票はしないで!の意見も。
とりあえず理論もわかるが、それがみんなの意見になる。
また、投票に行かない人は、行く人に任せている。
任せられた人は、よくわからんけど、入れてみたでは困る。
投票に正しい、間違っているはないけども・・・。
たとえ投票率が75%になっても
現状では、50%人が日本はどうなっていくのがいいのかなどを
考えて投票する人だとすると、
25%の「とりあえず」投票の人が増えたとする。
投票した人の1/3の人はとりあえずだ。
芸能人が言ってたから、投票してみたの人。
「投票率を上げよう」は、野党の戦略?
自民党の獲得した票の数より、投票されていない数の方が多い。
つまり、投票していない人がいけば、自民党を上回ることができる!
投票率が上がれば、自民党は不利になる説。
そうなる可能性もある。
しかなしながら、「とりあえず」票は野党に入るとは限らない。
これまで日本を動かしてきたのは、自民党なんでしょ?
と自民党に入れる可能性だってある。
若い人は、新しいことや改革を求めている?本当に?
決して、「高齢者vs若者」の図式が成り立つわけではない。
「投票に行かない人」は何を信じればいいのか?
「投票に行かない人」は、日本のことを政治家に任せたことにはならない。
投票という手段を選ばなかったから。
政治家ではなく、投票に行った人に任せたと言える。
「投票に行く人は、いい政治家を選んでね!」と。
「投票に行く人」は、現状の日本に不満を抱いている人ばかりではない。
よくなって欲しいけど、戦争があるわけではない、自然災害だって政府のせいじゃない。自分だけを見れば、不満は湧いてこない。
でも、投票にいく。
それは、困っている人がいることを知ったから。
友達でも知人でもない。
(いや、本当はそうだけど、気づいてないだけかもしれない。)
困っている人がいる社会で、のほほんと暮らしていくのはなんとなく嫌だ。
だけど、私が直接、何かをして助けてあげられるとも思わない。
だから、国があるんだ。
困っている人がいない、少ない社会は私にとっても
きっといい社会に違いない。
そんないい社会にしてくれる人に投票したい。
賢い人がいいのだろうか?真面目な人がいいのだろうか?
同じ痛みを知っている人がいいのだろうか?
ケースバイケースだし、選びづらい。
私たちに見せるいい人づらだけ見ていても選べない。
わからない。
投票する人は、「信じてみよう!」と思った人
わからないから選ばないではなく、
「信じてみよう!」と思えた人に投票する。
投票は、「権利だから」「もったいないから」
と言われても行きたくはならない。
「信じてみよう!」と思える人を見つけられたから、投票する。
それだけ。
50%の信じてみる人と50%の任せる人
信じてみる人が増えれば、投票率は上がる。
信じてみる人の中にも、もう信じたくない!とやめてしまう人もいる。
選挙は○✖️クイズではない。
投票した人が落選したからといって、あなたの選択が間違っていたということではない。
みんなが選ぶ人に投票する、いわゆる勝ち馬に乗るのは投票は、
本当の意味で「信じてみる!」行為はないようにも思える。
「信じてみる!」人の目は、政治家にとって
なんとなく投票してくれる人は、政治家とって容易い。
「信じてみる!」人の目はだんだん厳しくなっていく。
投票する人の本気度合いが上がれば上がるほど、
政治家の本気度合いが試される。
あなたが本気にならないと、政治家も本気にならない。
(投票に行かない人対しては、本気になれない)
「選挙に行こう!」では、本気にならない
投票率は上がらない。
自分の選挙区に立候補した人を見てみてほしい。
パッとみるだけでは、誰も信用できなそうな顔をしているかもしれない。
よーく見てみよう。よーく。
本気になるとはこういうことだ。よーく見るのだ。
真実はどこにあるのかよーく見る。
誰かに教えてもらうのではなく、自分で。
それしかない。