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生き方を改めるシリーズvol.18 「祈りは通じる」って本当?
「座右の銘」や憧れの人やロールモデルの全くない私。
まぁ、それはそれでいいかな〜とおも思っているが、先日、先輩から「会社が永続する31の言葉」という本を頂いた。
これはきっと生き方を改めなさいということだなと思い、1つずつ噛み締めてみることにした。
「祈りは通じる」
祈りが通じるか、通じないかはさておき、
「祈る」の重要性を考えてみたい。
「願う」には、私が主語だったり、私たちだったり、私がいる。
「祈り」は、私がいない。そして無力であることが多い。
遠く離れた災害エリアの人へ向けた祈り。無事でありますよに。
誰かのことを、考える。
あれ、私何かできるかも。
方法が見つかることもあるし、何もできないこともある。
素直になる
祈りは、誰か(対象があるようでない場合もある)に対して、
どうか●●でありますようにと強く思う時、人は素直になる。
嘘つけない。
思ってないことを祈るほど、空虚なことはない。
素直とは?
嫌なことを認める。
常識や普通からの呪縛から逃れる瞬間。
人は生まれ、死んでいくの摂理の中に生き、誰も変わらない。
どんなに憎いアイツも、どんなに愛するあの人も。
人は素直である時が1番自然な状態なんだと思う。
そう生きることが素敵なんだと思うが、なかなか難しい。
災害が起こると、心が人と繋がりやすくなる。
日常の中では、舌打ちしていても。
「祈り」は、日常の中で一瞬だけ、
夜空を見上げるように、目を閉じてもう会えない誰かを思うように、
私という自我を置き去りに誰かのことを想う時間。
日常から切り離してくれる、静かな時間。
お仏壇でも、神棚でも、太陽でも、お月様でも、何もなくても、
「祈り」は、自分と世界、日常の隙間を作ってくれる不思議な行為だ。