あなたの期待に応えるために、わたしがいるわけではない
以前書いたこのnoteをいま読み返しています。
この当時は、「出会えなくてもまた素晴らしいこと」という表現をきっかけに、自分が関われない方々へ思いを馳せていたように思います。
さらに、「わたしはわたし、あなたはあなた」を「課題の分離」と紐づけて捉えていたようです。
時を経ていま、新たに心に留まったのは「私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない」というフレーズ。一見すると冷たく突き放すような言葉にも見えるかもしれません。
しかし、「あなたの期待に応えない」と言っているのではありません。
むしろ「わたしの意志で物事に取り組む」という決意と、仮にあなたの期待に応えることができたとしても「それは自分の意志で行動した結果である」という強い信念を感じます。転じて、外発的動機付けではなく、内発的動機付けに基づいて行動するという宣言にも見えてきます。
もちろん、誰かの期待に応えようと思って行動することも素晴らしいことです。期待に応えるからこそ、この世の中は素晴らしいものになっています。
例えば飲食店であれば、「もっとおいしく食べていただこう」「もっと楽しく過ごしてもらおう」「もっとお客様に喜んでいただこう」と思って働くからこそ、おいしくて快適でまた行きたいと思ってもらえるようなお店になり、ファンが増えていくわけです。
一方で、「もっとおいしいものを作ろう」「もっと楽しく働こう」「もっと自分たちが喜ぶようなお店にしよう」と思って働いた結果、お客様にも受け入れられてファンが増えるということもあります。
仮にナビサイトなどで低評価がついた場合を想像してください。
前者はお客様の期待に応えるためにがんばってきたのですから、それが報われなかったとしたら、「こんなにもがんばったのに…」と大きく落胆することでしょう。
後者は自分の目指すところにはまだ遠いことを見せつけられるわけですが、逆にさらなる成長を目標に「もっとがんばろう」とモチベーションが高まることでしょう。
「私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない」
この言葉には、自分を信じて自分の意志で自らの足で歩んでいくという覚悟が見えます。それは自尊心であったり、強い信念であったり、内発的動機であったり……そんな思いが込められていると、わたしは感じたわけです。
思えばさまざまな学びの場面で、わたしは「わたしがしたいからする」という自らの意志で取り組むことをよしとしてきたことに気づきました。
誰かにやれと言われてやったのではなく、わたしが自分で選択したということに自信と責任をもって臨んできました。
この自主性・主体性が、ゲシュタルトの祈りの言葉に重なって見えたのかもしれません。
同じ言葉でもその時々で受け取り方が変わる―――興味深いですね。
またゲシュタルトの祈りとじっくり向き合うときには、きっとまた違った受け取り方ができると思うと楽しみです。
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