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昨晩もいつもの如く武者修行に出て、仲間と共に学んでおりました。
素直に喜べないところに、わたしらしさがあるなぁ〜と実感した昨晩。
今日になってもやっぱり“あまのじゃく”な部分を感じています。


今回はわたしがキャリアカウンセラーとしてお話しを伺い、相談された方の経験の中に映る自分(自己概念)を確かめてもらうことにチャレンジしました。結果的にお相手はできごとをふりかえることができ、モヤっとした経験を自ら省みて意味づけをされたようでした。形式的にはうまくいったケースという印象です。

ですがわたし自身は、
「もっと他の関わり方ができたのではないか」
「別の視点で見たら違う展開もあり得たのではないか」
「半歩先を行き、先走って問いを投げつけてしまったのではないか」
「わたしが期待する答えを相手から引き出そうしてはいないか」
といった反省の念に駆られていました。

よりよいカウンセリングを追い求める上で、わたしの関わりが果たして本当に良いのか、ずっと疑問を抱いています。
かといって別のスタイルになれるわけもなく…結局いつも通りのわたしのスタイルになってしまいます。いうなれば「おかちんワールド」です。

それをどこかでよしとしてない部分があるからなのでしょうか、
「オカベさん、素晴らしかったですよ」
「さすがですよね」
「この問いかけがとてもよかったと思いますよ」
といった好意的評価を素直に受け入れられないんです。

まさに“あまのじゃく”です(笑)


もちろんせっかく褒めてくださった方のご厚意はありがたく受け取ります。感謝していますし、わたしを認めてくださったことをうれしく思います。

でも、良いと評価されてしまうのはなんだか違うな……と受け取ってしまうんですね。むしろ反省点や改善点、より良くするための気づきを得たいとすら思うほど。マゾっぽい感じがしてきますね…


おそらくわたしが懸念しているのは「属人的なカウンセリング」になっているのではないか、という点です。

本来、キャリアカウンセリングは「関わり方」「仕組み」「機能」であって、“その人にしかできない”ものではないはず。
キャリコン試験に合格し、国家資格としてその肩書を得られる以上、有資格者であれば誰がおこなっても同等のキャリアカウンセリングができなければならない… そして、ふさわしいレベルのキャリアカウンセリングができなければ、資格を名乗ることは許されない… と、自分を縛りつけているからなんでしょうね。

だから人から好評価を受けても、自分が求めるレベルに達していない以上、それはよいとは言えないと自己評価をしてしまう… というわけです。


でも、これを他者に押しけることはしません。
あくまで自分自身に対してだけです。
「自分に厳しく、他人にやさしく」なんです。

だからこそ、どこまでも追及し続けられるし、いつでもより上を目指して歩み続けられるのだろうとも感じています。
ありたい自分であり、見たくない自分でもあり… まるっと「愛しい自分」の一部なんだろうなぁなんて感じています。

これからも“あまのじゃく”なおかちんのままですが、どうぞよろしくお願いします。




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