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人に合わせることは自分を曲げることになるのか?

先日、とある会話でこんな一言が出てきました。

「人に合わせて話し方や態度を変えるのって、自分を曲げるようで嫌なんですよね……やっぱり自分らしく振舞って、それを相手に受けれ入れてもらいたいって思うんですよ」

いかがでしょう?

わたしは「ん?」って思っちゃいました。


わたしは、人に合わせて話し方や態度を変えることはコミュニケーションの一部であり、スキルの一種だと思っています。

相手が安心して話してもらうための雰囲気づくりや、受容的な態度は、本音で語り合うための準備に過ぎず、それが自分を曲げているなんてことは考えてもみなかったことです。

でもその方にとっては、口調や話すペース、表情や態度、伝え方や伝える内容も含め、自分のコミュニケーションの取り方を変えることが譲れないようなんですね。だから相手に合わせる=自分を曲げると捉えてしまうのでしょう。


ただ、わたしも自分らしく振舞っているとき、いわゆる自然体で臨んでいるときは、相手に合わせるという感覚はありません。何も意識せず、ただありのままの自分で会話しているだけです。そう考えると、意識的に相手に合わせて話す場面では、ある意味で自分を曲げている…のかもしれません。

この場合、自分を曲げるというよりも、自分を前面に出すよりも、まずは相手に安心して話してもらうために少し控えたり、相手のリズムを掴むまでは様子を伺ったりと、自分を全開にし過ぎないようにコントロールしているという感覚です。最初からアクセル全開ではなく、まずは周囲の流れに合わせて徐々に上げていく感じです。
その過程では車線変更することもありますし、道を変えて走ることもあります。自分を曲げるのではなく、流れに合わせて道なりに進んでいるイメージですね。

そう考えると冒頭の方は、自分が進む道に何もなくただまっすぐ走りたいという感じですね。分岐もなく車線変更もせず、ただただ自分の進むべき道が開けていてそこを全開で走りたいという感じがします。だから車線変更ですら自分を曲げることになりますし、まして分岐して違う道へ行ったり、渋滞でブレーキを踏まされることもストレスになってしまう…のかもしれません。


こういう自分と考えが異なる意見も、深く考えてみると非常に面白いですね。つい良し悪しで捉えたくなるところですが、そこには正解も不正解もありません。だからこそ、その人はどう考えているのかを会話して確かめることが大切だと思うんです。

そういう意味では、相手に合わせることは自分らしいコミュニケーションをとるための一つの手段だと、わたしは感じるのですがいかがでしょうか?



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