“どうやって生きるか”に縛られすぎない
進学・就職・結婚・出産・転勤転職・定年・・・人生にはさまざまな節目があります。
そのたびに、こんな思いが頭をよぎります。
「これからどうやって生きていけばよいのか」
一度限りの自分の人生。
だから簡単に他の誰かに委ねたくはありません。
でも、自分で考えて自分で決めなければ・・・そう思うと辛くなります。
この苦しさの要因の1つに、「“どうやって”に縛られすぎている」という面があるとわたしは考えています。
「どうやって」
「どのように」
「どんな手段で」
「どういう方法で」
など、具体的な方法や対策に目が行きがちです。
特に社会に出てからは、生きていく=生活の糧を得るという要素が大きくなるため、どうしても収入面の課題は避けられません。
だからこそ「どうやって生きるか」という方法に意識が向いてしまうわけです。
ただ自分が揺らぐほどの大きな節目に立ったとき、最初から方法を考えるのは難しいのではないでしょうか。
それも心も頭もざわざわと乱れている状態で、冷静に綿密に戦略を練るのはなかなか大変ですよね。
そこで、少し立ち止まってこの問いについて考えてみませんか?
「これからどう生きるか」
この“どう”には、
「どうありたいか」
「どんな自分でいたいか」
「どんな自分になりたいか」
という自分の在り様を含みます。
そして
「なんのために」
「誰のために」
「何を目標に」
という人生の目的や目標も含まれます。
この問いに向き合うことで、
「わたしは何者か」
「自分らしさとは何か」
と、自分をじっくりと見つめ直すことができます。
つまり、「どう生きるか」とは自分軸を確かめること(JCDAなら自己概念を確認すること)。
自分軸を明確にしてから、「どうやって生きるか」と具体的な戦略を練るわけです。
最初から“どうやって”という戦略に縛られすぎててしまうと、“どう”ありたいかという自分軸がぐらついたまま突き進むことになり、結果としてうまくいかないことも・・・
ただ、自分と向き合うことは痛みも伴います。
人生をふりかえるわけですから、よい経験ばかりではありません。
嫌な記憶、辛い経験、苦しい時代を思い返す場面もあります。
それでも、いまの自分がその経験をふりかえり、“どう”捉えているかを確かめることに意味があります。これこそが自分軸の確認です。
これからの人生を歩んでいくのは、いまの自分ですよね?
過去はあくまで過去。そのときどんな判断をし、どんな行動をしたかは、過去の自分がその時点での自分軸に従って行ったことです。
きっといまの自分なら、もう少し違った判断や行動をするのではないでしょうか。それは自分が成長した証であり、いまの自分の価値判断を確かめることになります。
「いまだから笑って話せる失敗談」なんてその最たるもの。
そんな経験、あなたも一つや二つ持っていませんか?
そこには変化した・成長した自分が映し出されていませんか?
今日は「“どうやって”生きるか」と「“どう”生きるか」について考えてみました。この話を書いていたらふと、ベストセラーになった『君たちはどう生きるか』を読み返したくなりましたね。
あなたは、これから“どう”生きていきたいですか?
明日も佳き日でありますように