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マルハラが生まれた背景には何がある?
マルハラとは、文章の最後につける句点「。」が威圧的だという若者の訴えから生まれた言葉です。「。(マル)」ハラスメント、略してマルハラです。
ノイジーマジョリティ(能動的で口うるさい多数派)という新たな切り口で捉えていて、なかなか面白い記事です。
この中でマルハラは、①常識的な視点、②ルール的な視点の2点において、ハラスメントとは言えないと捉えています。そのうち②についてこのように取り上げています。
続いて2つ目の「ルール的な視点」である。そもそも「マルハラ」がハラスメントとして認定されるかどうか、である。
厚生労働省が公開しているパワーハラスメントの6類型は以下の通りだ。
(1)身体的な攻撃(暴行・傷害)
(2)精神的な攻撃(脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言)
(3)人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)
(4)過大な要求(業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制・仕事の妨害)
(5)過小な要求(業務上の合理性なく能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じること・仕事を与えないこと)
(6)個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)
マルハラがパワーハラスメントの一種、というのであれば、どこに該当するのだろう? 「(2)精神的な攻撃(脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言)」であろうか。
いや、いくらなんでも過剰解釈だ。過剰というか、過激と表現したほうがいいか。さすがに「マルハラ」をハラスメントとして認定し、ビジネスチャットでコミュニケーションをとるときは、「語尾に句点をつけないように」とルールを設け、職場で周知徹底させることはできないだろう。
本来、ハラスメントとは過大・過少・過度など「過ぎた言動」を問題行動として法律に定められたものを指します。些細なことでも不快に感じたらすべてハラスメントというわけではありません。
マルハラは、語尾に「。」がつくと威圧的で冷たい感じがするという一部の声を、SNSなどで取り上げたことがさも「全国民の総意」と言わんばかりに誇張して報じられた結果なのかもしれません。
とはいえ「。」がつくことを不快に思う人がいることは心に留めておきますが……それでもすべての文章から「。」を取り除くことは現実的ではありませんし、異を唱えるサイレントマジョリティが大勢いることは想像に難くありません。
「。」をつけないという文化は、記事中でも触れていますが「テキストベースのコミュニケーションにおいて問題視された」だけです。口頭でのコミュニケーションで「。」は発音しませんし、おそらく気になることはないでしょう。文字になるから「。」が気になるというだけです。
さらに、LINEなど短文でやり取りする場合は、「。」をつけるとかえって悪目立ちすることもあるでしょう。
今日帰りが遅くなる。
うん。
何時になるの。
10時くらいかな。
わかった。
今日帰りが遅くなる
うん
何時になるの?
10時くらいかな?
わかった
短文メッセージは、そもそも一言で伝えます。
だから文章として成立させるというより、短い単語だけで十分に会話が成立するわけです。
「文章ではなく単語」だから「。」の必要性が薄れているわけです。
ところが、長文に「。」をつけないと、非常に読みづらいものになります。
昔昔あるところにおじいさんとおばあさんがいましたおじいさんは山へ芝刈りにおばあさんは川へ洗濯にいきましたおばあさんが川で洗濯をしていると川上から大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました
昔昔あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました。おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から大きな桃が「どんぶらこ、どんぶらこ」と流れてきました。
いかがでしょう。見比べると、句読点や字下げ・改行のありがたみを感じますね。
つまるところ、短文あるいは単語のみの必要最低限で情報伝達を行う『タイパ(タイムパフォーマンス)重視の現代的コミュニケーション』が生み出した新しい価値観なのではないでしょうか?
そういえば、Webページでは字下げをしない方が一般的という記事もありましたね。
句読点にしても、字下げにしても、縦書き・長文に合わせて考案された見やすさの工夫であって、パソコンやスマホなどの横書き・短文の世界では必ずしも読みやすいとは言い難いケースが出てきたということではないでしょうか。
ちなみに、字下げと段落については、モリサワnote編集部が非常に興味深い記事を書いています。
さて、冒頭のマルハラへ戻ります。
マルハラは「。」が威圧的だから使うべきではないという声から始まったものです。それは、Webを基本とした現代の文章のあり方から生まれた新たな価値観とも言えます。
一方で、これまで使われてきた縦書き・長文の印刷物を基本とした文章のあり方を「ハラスメント」として否定することは、本当に正しいあり方なのでしょうか。
どちらかが正しく、どちらかが誤りと断定するのは、こと現代においては非常に増えてきたように思えてなりません(目立つようになった、あるいは強く感じるようになった、というのが実際かもしれませんが……)。
善か悪か、正しいか誤りか、賛成か反対か、味方か敵か、といった具合に、何かにつけ白黒はっきりさせようとする嫌いがあります(とわたしは強く感じます)。
これこそまさに『0,1のデジタル的発想』であり、コンピュータ&インターネットネイティブの若い世代の特徴と言えるかもしれません。勝ち組・負け組なんて言葉が使われ始めたのも、ちょうどデジタル機器が普及する頃と重なりますし、何かしら関連性があるように感じますね。
そして、極度に失敗を恐れるという傾向もここに付随します。だから言い切ることを避けるように、「~させていただきます」「よろしかったでしょうか」といったバイト敬語が生まれたのでしょうね。失敗を避けるため、できる限り言い切り口調(≒決めつけ)にならないように考え抜かれた(防衛的な)敬語と言えるでしょう。
そう考えると、「。」をつけるというのは、その言葉・文章を言い切ることにつながり、ひいては発言した側の責任が問われることにつながります。だったら語尾に余韻を持たせ、受け取る側の責任でどちらにも解釈できるような(防衛的な)文章が好まれるのも納得できます。
横書き・短文(単語)のタイパ重視のコミュニケーション
コンピュータ&インターネットのWebページ基準の文章構成
失敗したくないという恐れからくる防衛的な文章としての象徴
このあたりに「マルハラ」の要因が潜んでいるように感じるのですが、あなたはどう思いますか?
・・・ということを、気にせず「。」を使ってまとめてみました(笑)
それでもやっぱり「。」は威圧的で冷たい感じがしますか?
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