「役割」を大切にしたい“わたし”がいたんだ
先日のCDAの研修でのこと。
「自分の事より人のことを優先してしまう」
「肩書にしがみつき、役割に縛られる」
「CDAのくせに、先生なのに、と言われることが怖い」
「見下される、見捨てられることを恐れる」
「役に立たないと思われたくない」
「がっかりしてほしくない」
・・・と、まあ次々と出てくる『見たくない自分』。言葉にできるのはある程度、内省してきたから。でも深掘りはできていない状態でした。
献身よりも自己犠牲、貢献よりも滅私奉公と、自分を傷つけてでも誰かのために必死になるわたしの中には、いったいどんな自己概念がいるのか?
それを深く深く掘り下げる関わりを、研修の中で体験しました。
もちろんこの場に臨む前に心のセットアップは行っています。
「きっとこんな自分が顔を出すよね・・・」なんて薄々感じながら、研修の中では真っ先に相談者を務めました。
具体的な問いかけの言葉は伏せますが、他責ではなく自分に矢印が向く鋭い質問も数多く出されました。
でも不思議と嫌じゃないんですよね。痛くないといった方がよいかな?
むしろ「そう来たかー!」と驚きや気づき、新しい自分を見つけたような感覚になりました。
それは、「嫌な部分、嫌いな部分も全部含めて、自分を愛しむ」という心の持ちようで臨んだから。
薄々気づいていた「人に見せたくない自分の弱い部分」をさらけ出したとしても、この場にいる人たちは受け入れてくれる、それでもわたしを愛してくれると信じられたから。
ここにはわたしのキャリアカウンセリング観である「信じる」という強い想いがあったからだと考えています。
最後に相談者を務めたわたしへのエールで終わったこのセッション。
みなさんからの言葉に心が揺さぶられました。
「もっと自分を大事にしてあげよう」
そう思える素敵な体験でしたね。
さて、その中で新たに気づいたこと。
それは「役割を大切にしたいわたし」がいることです。
見たくない・認めたくない・気づかないふりをしてきたのは、
「役割に縛られる」
「~のくせに」
「がっかりされる」
というわたし。
でもこの奥底には、
「役目を果たしたい」
「役割を担えるだけの力を身につけ、肩書に恥じない自分に成長したい」
「必ず期待に応える」
という熱い思いを持ったわたしがいたわけです。
いまの役割や肩書のおかげで、以前よりも大きなことを、より多くの人に、より広い範囲で提供できるようになりました。
もっと大きな役目を果たせて、高いレベルの学びからさらに成長でき、より高いレベルで期待に応えられるようになったと実感できています。
だから「役割や肩書を大切にしたいんだ」と気づけました。
実はこのことに気づいたのは、セッションが過ぎて2日経った今日のこと。
「キャリアカウンセリングはボディーブローのようにじわじわ効いてくる」
そう例えた方もいらっしゃいましたが、まさにその通り!
語り終えた後も自分のことをずーっと考え続けるマインドが、キャリアカウンセリングで得られるのでしょうね。
いい体験だったので、わたしはこうして記録に残しておきました。
これをまた半年、1年、3年・・・と時間が経ってから見たら、それはそれで新たな気づきが得られると思います。
だから継続してキャリアカウンセリングを受ける必要があるわけです。
いま、日本キャリア開発協会(JCDA)では、この【継続的にキャリかカウンセリングを受ける仕組み】をスタートさせようとしています。
昨日、キックオフイベントにオンライン参加しましたが、これから「社会機能の一部として、キャリアカウンセリングを誰でも当たり前に受けられる世の中をつくっていこう」という強い気概を受け取りました。
わたしもCDA・キャリアカウンセラーの一人として、この一翼を担うことができれば・・・また新たな役割が見つけられそうです。
なにかワクワクしているわたしがいますね(笑)
こういうわたしも、きっと「役割」というキーワードに惹かれているからなのかな?なんて思っています。
明日も佳き日でありますように